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2004年09月29日

雑誌

 大きな話題だったが、それを知ったとき「やっぱり」と思っただけで、すぐに忘れた事があった。日本で最初のゲイ雑誌の「薔薇族」の休刊のことだ。

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 私が初めて買ったゲイ雑誌は「さぶ」である。約30年も前の話。地元の書店で平積みにしてあった「さぶ」誌の表紙を見たときに背筋に電流が走ったのを今でも覚えている。当時表紙の絵を描いていたのは三島剛氏であった。男臭い顔、体、そして刺青。眠っていた自分の内面の方向性をそこに見つけたのであった。当時中学生であった私は、その本を買うのが難儀ではあったが、何とか買うことができていた。内容は、それこそ、中学生だった私には十分すぎるほど濃厚な物であった。今の基準からすれば、グラビアなどはおとなしい物であった、クオリティも高くなく単に「男のハダカ」が載っている程度の物であった。しかし、小説は、秀逸な作品が並んでいた。何度と無く読み、繰り返し利用した。当時「さぶ」誌は、月刊以外にも「季刊さぶ」という、小説中心の別冊をつくっていた。月刊誌の小説の再編集の感があったが、そこそこ楽しめた。そして、ちょっと大きめの週刊誌サイズの雑誌「あいつ」が創刊された。大きいサイズにしたかった意気込みは良かったものの、中身が「さぶ」誌を踏襲していたため、差別化できなくすぐに休刊。時系列は定かではないが、この間に、「ムルム」「アドン」が刊行された。「サムソン」もこのあたりか。毛並みの変わった「The Gay」もあった。また、薔薇族は一時「バラコミ」というコミック雑誌もつくった。(広告の「ニュー・ホモ・マガジン」には笑える)
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 私は、ゲイに目覚めてから、この方、方向性は「野郎系」。安易に分けると「薔薇族」「アドン」「バディ」の系列と「さぶ」「ジーメン」ちょっとはなれて「サムソン」の系列だと、いまでも後者を選ぶ。「薔薇族」も昔、購入したことがあるが、習慣化はしなかった。
  話は美国の話になるが、94年位から定期購読していた雑誌があった。名前は単刀直入に「BEAR magazine」、Brush Creek社から出ていた。 ベアのコミュニティで初めて出版された雑誌はこの雑誌であった。この雑誌をサンフランシスコの本屋で見つけたときは、中学生にとき「さぶ」誌を見た以上に鮮烈であった。インターネット以前の世界で、日本で売られていた雑誌やビデオには強力なモザイクまたは墨塗りがしてあった時代、「好みのタイプの男がモロ_ダシの写真満載」の雑誌。パラダイスであった。それから約8年が過ぎた。世の中はインターネットの時代。マウス操作だけで、「好みのタイプの男がモロ_ダシの写真満載」が簡単に、そして、常時接続のおかげでコストも気にせず手に入る。文通欄も、あちらでは、[Man to Man Personal]とか[Personal Ad]と称していたが、これも月刊誌がインターネットにかなうはずがない。ビデオに進出して、男優のジャック・ラドクリフ氏を起用たりして、社会の中でニッチなゲイの分野の中で、更に更にニッチなベアコミュニティの中でビジネスを展開していた。彼らの会社だけで終わればハッピーエンドだっただろう。しかし、そんなニッチなマーケットでも競争相手が現れるのがアメリカである。まず雑誌は「American Bear」誌が発行される、のちに「Bulk Bear」「CUB magazine」「100% beef magazine」などである。ビデオは、マンハンター社はじめ数社が、このニッチマーケットに参戦している。
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  私がサンフランシスコで定宿にしているホテルの前が、Brush Creek社で、オフィスの他に小さなショップを持っていたので、お土産ものをよく調達していた。数年前、訪れたが、ドアが閉まっている。そのドアには張り紙があった。「Brush Creek社は、税金を未納にしたため、この建物内の財産を差し押さえる」と。結局、この会社は潰れた。私を含めた多くの定期購読者へ前納していた購読料は戻ってこなかった。
ビデオの版権はマンハンター社などに売られた。私は内部の事情について深くは知らない。税務、マネージメントが良くなかったのだと思っている。日本の薔薇族同様、ニッチニーズのパイオニアだったのは事実である。スタッフも、有能な人は後に、新しい会社を起こした「Bear Flims」のホフマン氏は元ベアマガジン編集長であった。
  雑誌も商売である。故に常に競争を強いられる。マーケットは更に敏感で、すぐに反応する。正直いって「薔薇族」がここまで生きながらえたことは、今の世の中不思議なくらいである。

投稿者 tokyobear : 14:22 | コメント (1) | トラックバック

SNS

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  私は、比較的、インターネット関連のトピックに強いと思っていたが、知らなかった大きい話題があった。このごろのネットユーザーの増加は色々なネットの利用法を提案する。ブログというシステムも、今年になって流行った。今、流行っているのはSNS(ソーシャル_ネット_ワーキング)。

  「mixiって知っていますか?」と言われたのは、ついつい1週間前。そしてすぐ加入した。現在、稼働しているのは、mixi、グリー、orkutだとのこと。私は、紹介しくれた人を通じてmixiに登録した。
  このシステムは、「紹介者」が居ないと、加入できない点。逆に言えば、紹介されて加入した人は、また紹介者をつくり、「ねずみ算」方式で加入者が増えること。聞いた話によると、ここ何日間で1万人増加した。
  使ってみると、とても楽しい。画面のレイアウトも好感がもてる。その名の通りソーシャルネットワークで、「友達の友達はみんな友達」の感覚ではあるが、「友達の友達」を辿っていける。「友達」のページに行くと、その友達が写真付きで一覧できるのは秀逸。 このごろはゲイであっても、自分の顔の写真を公開している人は少なくない。なので、ゲイのページに飛ぶと、その一覧の写真で、何も語らずに、彼のセクシャルオリエンテーションがわかってしまう。 はたしてストレートのかたに、このシンパシィがわかるか疑問だが、ゲイならば、すぐにピンとくる。 「友人」のページに行くと、その人の「友人」へ移動できるので、芋づる方式に人を辿っていける。
  それぞれのページには「日記」があり、今流行のブログのような使い方ができる。書いた日記のタイトルは、全ての「友人」のトップページに表示される。 また、このブログのように別に持っている人も、リンクされ、表示される。
  また、サイト内の「コミュニティ」というサークルようなシステムもあり、自分が興味のある分野のサークルに参加したり、つくることができる。昨日BCJのコミュニティをつくった。これも、他の人が閲覧できるそれぞれ個人のページに表示され、その「コミュニティ」の写真アイコンが表示されるので、これも、その人の興味の方向を知ることができる。
  ある人は、あまり正直に友人や「コミュニティ」を登録すると、全ての方向がわかってしまうので、社会的にゲイということをオープンとしない人は、とても気をつかって参加しているとの由。
  流行廃りの早い世の中、このシステムがこれからドンドン活発になるか、何か、ネット特有なダークな部分が発覚して廃れるか、見守りたい。 現時点では、とても楽しいシステムである。

詳しい解説は http://e-words.jp/w/SNS.html など

投稿者 tokyobear : 12:42 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月26日

エイ_ジング

残念ながら、2年で休刊になってしまった「にじ」という、「堅い」ゲイ雑誌に、以前、「エイジング」の特集があった。 

  この雑誌を見たとき、「こんな雑誌が日本に欲しかったんだ!」と思い、あまりの感激で、この創った人に是非お会いしたいと強引に申し出て、沼袋というところで初対面で5時間ほどしゃべった。そのつながりで、にじ編集者の永易さんと知り合いになった。
  実は、この雑誌のインタビューを受け、そのとき思っていることを、2時間以上、仲通りの珈琲館でしゃべった。「内容はエイジング~40代からっていいじゃん」。今、それを読み返してみたが、今も、まあ、そのときの意見と同じ事を確認した。
  40を過ぎたおっさんが、バーは楽しくない、中年が多く集まるバーだと、その、集まった人たちの怨霊みたいな物が移ってきて疲れるとか、ママとの会話にもついて行けなくなるとか、言いたい放題言っている。 確かに、飲み屋も間違えると悲惨である。 
  数字が名前につくサウナなどは、まだ何とかなるけれど、BOX系有料ハッテン場へ行くと、このごろ間違いなく「年長組」。各施設は「見た目30代まで」と書いてくれてるから、何とか入場できるけれど、入ったところで最年長。結果は芳しくないことの方が多いとおもう。(それでも、さきほど初めて行った某ハッテン場から帰ってきたばかりだったりする)
  しかし、40をとっくに過ぎた私が、とても落ち着くバーがあったことも、去年、今年で解った。伏せ字にしても解ってしまうだろうが、東京のAというバーのママは、ここ数年あった人たちの中でも希有なくらい個性的な人だ。「個性的」は裏を返せば、扱いにくい、何を考えているか解らない、となるのだが、彼の個性はそれをも上回っている。彼が「壊れている」ところを初めて見たら、多分評価は天文学的にマイナスになるであろう。しかし「正気」の彼をみたら、多少は、「壊れている」彼を許してしまうのだろうとおもう。現実的にも、彼の店の引っ越しに、彼が直接呼んだわけでは無いのに10名あまりの人が集まるのだから。彼ももうじき40になる。客として彼を見ていると、多少難はあるけれど、ステキに歳を重ねていると思う。
  私は、今日42歳と9ヶ月目だが、いまのところ、「歳をとったなぁ」と感じてはいない。まだまだ現役。

投稿者 tokyobear : 03:24 | コメント (0) | トラックバック

脅迫的睡眠

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  私は不眠症である。少なくとも私は眠れないと思っている。 眠らないと、次の日、大変辛くなると思っている。 医者通いをして、睡眠薬を処方されているほどである。

  今日は通院日だった。変なクリニックで、午後しか診療しない。水曜日が休診日で、土曜は診察する。今週は、カレンダーの関係で、土曜日に患者が集中した。いつもの倍の2時間待った。待合室で、おいてあった本を、何となく「眺めていた」。そこには睡眠について書かれていた。
  内容は、私の思っていることに近いものだった。冒頭の例がそれ。 その本によると、眠れないといっている患者のほとんどは、実は寝ている。 だた、睡眠の充足感が足らないので、寝ていないと感じる。人間、餓死はあり得るが、無睡眠死はありえない。寝られない、寝ていないと感じていても、生理的には必要最低限の睡眠はとっている。などなど。少し、目から鱗が落ちた気がする。
  私は寝るとき、冒頭書いた事を考えることがしなしばである。体が疲れていると、それなりに寝てしまうことが多いが、緊張していたり、次の日の仕事の事を考え出すと、もう、ダメである。「眠らなきゃ」という強迫観念じみた物が頭を支配して、ますます眠りにつくことができなくなるという悪循環。時計はドンドン進んで2時、3時、4時・・・。2時間ぐらい寝たかな、という具合。 こうなると、いつもの時間に起きているが、その日の仕事が上手く行くか、とても心配になってくる。結局、仕事してしまうのだが。
  つい最近、今までも私の中の常識を覆す物があった。飲酒、アルコールだ。 私の飲酒歴は長い。前に書いたとおりなので、もう30年飲んでいる。 私は、酒を飲むことは寝付きやすくし、そして、深い眠りに誘う物だと、ついつい最近まで、堅く信じていた。 実は、医学的には違うそうだ。 アルコールは、確かに入眠しやすくするが、睡眠中の「質」を下げ、中途覚醒しやすくなる、と医学的に証明されているという。「ちょっと睡眠薬代わりに」と寝酒をあおる事が、実は逆効果だったとは。 現実的には、適度な(かなりいい加減な表現だが)アルコールは、あまり、影響が無いとのことで、いわゆる「深酒」が問題とのこと。そして、私みたいな脅迫観念を持つと、「アルコールが無ければ眠れなくなる」と強く思い始め、アル中に移行することもあるそうな。
  この事実を知って、家で消費する泡盛の量が激減した。以前は、一人でも、晩酌をしていた。泡盛の1升瓶がゴロゴロしていたのは去年の話。いまは、頂き物の極上の泡盛も、よっぽどのことで無い限り、ウチでは飲まなくなった。まぁ、「脂肪肝」とう別問題もあるが。
  今日の診察は2時間待ち3分治療だったが、なんとなく、得をした気分だった。

投稿者 tokyobear : 02:29 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月24日

偶然

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偶然に人に遭遇するとワクワクする。 一昨日のも、数年ぶりの友人にあった。

  祝日前、我がクラブは、新宿2丁目のバー「九州男」で、飲み会を、夜の8時からやっていた。普段は居酒屋で飲むことが多いのだけれども、10年目の原点復帰でバーで行った。
  「九州男」は、2丁目のバーとしては規模が大きく、私らのような10~20名くらいのグループが入っても、全く問題がないほどのスペースがある。
  さて、8時に宴が始まって30分もしたところだったか、ふと、窓の外を見てみた。 3階の窓の外で見える物は、そう多くもない。 一番目立つのが、仲通りをはさんだ反対側に「akta」である。 照明が明るく、カーテンが無いため、「丸見え状態」。普段なら、そこに人影があったとしても、別に気にとめることはない。でも、この時は違っていた。遠くて、顔の判別は全く解らないのだけれども、何か、似ている!と、直感した私は、たまたま、窓の前に居た、会員に「あの人XXさんに似ていない?」とふっても、お互いあまり目が良くない。眼鏡をかけてもらっても判別不可能だった。 ある意味で、確証に近いものがあった私は、その場で確認しに行くことを決行した。そのビルに行き、エレベーターに乗ろうとしたとき、彼はそこから降りてきた。
  彼と初めてあったのは、もう10年以上前の、サンフランシスコのゲイパレードの時だった。当時は、あまり深い意味を持たずに「パレードに参加してみたい」と思っていたのだが、彼の地のパレードは、何処かの団体に所属していなければ参加できない。 アメリカ通いも始まったばかりで、友人も居なかった。頼ったのは地元のゲイ新聞の「The Bay Ara Reporter」の広告欄。 当時は、インターネット以前の時代で、情報を得るには雑誌や新聞を購読をするほかなかった。 その中で見つけたのは「GAPA/Gay Asisans and Pacific Islanders Alliance」であった。とにかく、語学に自信がなかったので、日本語が何とか使えそうなところを選んだのだった。
  パレード当日お会いしたのが、N.O.氏だった。当時は彼は、日本と米国の企業の橋渡しのような仕事をやっていたが、それから、数年後、サンフランシスコの日本人コミュニティにおけるHIV・AIDS活動に関わることとなる。そのころまでは、自宅にあそびに行ったり、ジャパンタウンのオフィスに出向いて、お茶を飲むこともあった。その後、彼は、大学で勉強されたり、日本のHIV・AIDSコミュニティに講師として招かれたり大変、忙しそうな方となってしまっている。 サンフランシスコには、まだ年何回か通っては居るが、彼に連絡するのは、とても躊躇っていた。
  たぶん、5年ぶりくらいでお会いした。今回は、無理を言って、「九州男」にお連れして、我がクラブの飲み会に参加していただいた。会員から、彼に対して質問が繰り返され、何となくHIVの勉強会のようになった。
  「縁」って不思議な物だ。

(引用写真:aktaHPより)

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2004年09月20日

才能のない私

  さっき書いたブログで、私にはその手の才能が無いことを書いた。実はその文章に、さらに才能の無さの上塗りをしてしまった。

  主人公の名前を間違ってしまったのである。ご本人からのメールで気がついた次第。久しぶりに顔から火が出て、脂汗びっしょりになるくらい恥ずかしかったし、先様にとっても、とても、ご不快に、思われたとおもい、猛反省した。
  言い訳をするつもりは毛頭無いが、このごろ、小さな物忘れ、言い間違い、思い違いが、多いと感じる。「年齢」とは感じたくないが、こう、ちょくちょくあると、少し憂鬱になる。 人の名前は、もともと覚えるのが下手で、随分誤魔化してきた。 何年かぶりであった人の名前など、ほとんど忘れてしまっている。感じが似ている方の人の名を取り違えることもある。今回はその例。
  間違われた方、どうぞ、そのような事情を酌量の上、お許しを。

(間違った名前は、すぐに訂正しました)

投稿者 tokyobear : 17:22 | コメント (3) | トラックバック

才能

人生、数十年やってきて、時たまエッ、という状態に遭遇することがある。Hi~toshiさんの個展もそうだった。

  私が、その手のクリエイティブというかゲージュツとういかのセンスを持ち合わせていないので、意外と言っては、大変失礼だが、Hi~toshiさんが個展を開かれると聞いて、何の?と考えてしまった。
  沖縄桜坂のお店のママとして、何回かお話ししたことはあるが、このようなことに造詣が深いとは。私もまだまだ人生経験が不足と思った次第。
  実際には私は全くできないが、誰かが、宴の席、突然、上手く三線なんか弾けたら、す・ご・く・かっこいいなぁ、と思う。 そのように、とてもカッコイイ。Hi~toshiさん!
  白状すると、まだ作品を見に行ってない。近日中に、必ずお邪魔するつもり。 昨日も、阿佐ヶ谷一番街で遅くまで過ごし、2時過ぎから対山館のご夫妻があんくに登場され、3時過ぎに、皆で、新あんくの深夜見学会を行った。お開きは4時。

Ankhで泡盛を一杯!

投稿者 tokyobear : 16:18 | コメント (1) | トラックバック

2004年09月17日

社会デビュー

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私の社会デビューは、とても早かった。早熟というか、ませていたとゆうか。13歳の頃から一廻り以上うえの人間とつきあっていた。

  私は、小さい頃から放浪癖があり、小学校低学年から、一人で電車に乗って、どこへでも行けた。夜でも怖くなかった。最終近くの電車で、寝過ごして、母親に迎えに来てもらったことも何度かあった。
  中学生になり、本格的な旅行がしたくなった。しかし、オカネがない。バイトは中学生だからできない。しかし、外出をしたい欲求は募る。そこで目をつけたのはユースホステルである。ドイツが発祥の地で、青少年のために、安全で安価な宿泊施設を提供すること目的としている。日本では昭和40年代から50年代にブームとなり、最盛期には全国で500件、特に北海道では100件を超える施設があった。男女別で2段ベッドの寝室。アルコールは厳禁。消灯10時。食事の後かたづけや施設の掃除も皆で行う、というもの。現代なら受け入れられないであろうが、当時は、1泊2食で1150円。食事をとらずに自炊すれば600円で1泊できた時代である。当時の都営のユースホステル(YH)は、さらに安く、1泊素泊まり200円。
  さすがに中学生では遠隔地へ単独の旅行は許されず、東京郊外のあるYHへ泊まることになった。当時は、各YH主催で、行事や催し物を行うことが多く、そのときも、野鳥を観察する「探鳥会」なるものに参加した。参加者は、若い社会人が多く、次いで大学生だった。中学生は皆無。その雰囲気が気に入って、そのYHでも、常連宿泊者を中心とした自然観察グループがあり、活発に活動していた。 今思えば、ワンダーフォーゲル(ワンゲル)部の自然観察組のような、山志向のサークルだった。入会したのは13歳の春。毎月1回の「自然観察会」で野や山へ、植物や鳥の観察。年に1回夏の合宿は、主に八ヶ岳方面へ行った。
  ここで、問題になるのは、私は、「自然観察が好きだったか?」ということであるが、これは手段、理由づけに他ならない。その30名ほどのサークルに籍をおき、活動に参加していたことに、意味を見いだしていたのである。当時、会長は30歳くらい、役員も25~6であったように記憶している。 職業も、そのYHの常勤職員の方、高校教師、OL、設計士、獣医など多彩な顔ぶれであった。男女比は6:4位で男が多かった。
  月1回、新宿の談話室「滝沢」で、会の運営を決める「例会」という集まりが行われていた。入会1年目で、若干14歳で、その会の会計係を仰せつかり、毎月、その会に出るのが楽しみだった。社会人がメインということで、「例会」のあと、アルコールが絡む事がほとんどであった。当時から老け顔の私は、皆に連れられて「大信州」という居酒屋に連れ込まれていた。皆は、当然、私の実年齢を知っていたのだが、おもしろがって、私に酒を勧めた。皆の期待を裏切って、私は、当時から、酒が、飲めたのである。それも、大の大人よりも、多量の酒を飲んでも、ケロッとしていたのである。
  13~14歳のガキが、一廻り以上も上の社会人達を相手に、酒を飲んで、議論をふっかけることもあり、教育者が見ればトンデモナイ中学生だった。 
  この経験が、今でも自分の形成に大きく影響しているとおもう。酒の飲み方も教わった、14歳で、深酒をして、二日酔いの苦しみを味わった。
  このサークルは、結局私の高校時代に、自然消滅した。しかし、わたしは、高校時代、大学時代と、YHを使った旅行にはまることになるのである。

投稿者 tokyobear : 21:12 | コメント (0) | トラックバック

秋風の恋

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  私が、意識してレコードを買ったのは11歳くらいの時。LPが3000円位した覚えがある。タイトルは確か”John Denver Best Hits”だと思った。当時、BIG JOHNというジーンズメーカーがCMのテーマソングに彼の曲を起用していた。「太陽を背に受けて」(Sunshine on my shoulders)という曲が、私の心を直撃した。このCMのおかげでアメリカを強く意識し始めたと言っても過言でない。

  十代も半ば、「男」を意識させるシンガーとして、河島英五(故人)が好きだった。彼のLPアルバムを買い、コンサートに出かけた。「酒と泪と男と女」や「てんびんばかり」など、今思えば、暗い曲だが、当時の私には、とてつもなくマッチしていた。十代後半は、オフコースの軟弱路線や中島みゆきの暗さにはまった。
  20代後半、アメリカによく行くようなって、タワーレコードで、ジャケ買いしたのが、Dan Sealsであった。写真は彼のCD。このジャケットの写真、とてもセクシーに写っている。
  ジャケ買いしたとはいえ、中身も、自分にマッチしていた。彼のジャンルは「カントリー」、日本では、ラジオから流れたりCDショップでは少ないジャンルである。
  買った後で気がついたのだが、彼は日本でヒットした曲がひとつある、「秋風の恋」だ。(当時彼は England Danと名乗っていた)最近ネットで調べたら、この曲についてかかれた物があり、邦題は、当時のプロモーション時期が秋であり、詩の内容からいうとずれるが、「秋」としたらしい。
  テキサス出身、兄弟で音楽活動を行い、70年代、多少ヒットするが、その後、鳴かず飛ばず。税金の差し押さえを喰らって無一文になった。 彼は80年代、カントリー界に転身し、ソロで活動を始める。これがヒットとなり、現在に至っている。彼はおよそ2年に1枚のCDをリリースしている。 カントリー界に移ってからは日本では殆ど無名になってしまった。
  彼の最近のアルバムの傾向は「まったり」といったところか。 "In the Quiet Room" "In the Quiet Room 2"は、彼の過去のヒット曲のセルフカバーではあるが、ギター1本で、語りかけるようなアルバム造りは、とても良い。彼も、いい年齢になってきた、写真でも歳を誤魔化せなくなってきている。これで彼もフェードアウトか、と思っていたら、昨年新しいCDがリリースされた"Make It Home"である。そして、ことし後半に彼の兄であるJim Sealsと共同でCDを出すという。
  私は、あまり、日本、海外を問わず音楽界のゴシップを知らない。しかしながら、Danだけは、心の中で「追っかけ」をもう10年以上やっている。

(秋風の恋を聞きたい方・・・・http://www.eigo21.com/03/pops/z25.htm)

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2004年09月14日

費用対効果

  関西在住のパートナーのところへ訪ねると、必ず、ホテルに泊まる。といっても、頻繁なので、お高いホテルには到底泊まれない。何処かへ行くことが生きる張り合いみたいなところがあるので、国内外で年間20泊くらいのホテル利用がある。

  こうなると、エンゲル係数ならぬ、ホテル係数の比率を少しでも下げるべく、「安くて、良いホテル」を探すことに必死になる。 ネットの「旅の窓口」、「宿プラザ」は常連。JTBのサイトも一応チェックする。そのほか「じゃらん」や安ホテルに関連する有名サイトはほぼ全部チェックする。
 大阪でのホテルの目安は絶対に、1部屋、二人で1万円以下が条件。 そしてツイン。 以前、梅田近くのあるホテルが安かったものの、部屋が「セミダブル」だった。まあ、同性二人が泊まってはいけない規則は無いのだが、私一人がチェックイン、そのあと、彼が来るという算段だった。このようなシチュエーションにありがちな、マーフィーの法則のようなトラブルがあった。そのときは冬で空気が乾燥しているので、バスルームのドアを開放して入浴中(もちろん一人で)に、その湯気が煙り検知器に反応して非常ベルが・・・・。従業員の人は飛んでくるは、ハダカで入浴していた私はパニック状態になるは、とんでもない経験をした。 このあと、いくら安くても、ダブルで泊まることは止めた。
  訳あり物件では無いであろうが、大阪天満橋駅前にある某ビジネスホテルと、谷町四丁目駅近くにある、豪華な女性社長が経営しているチェーンホテルは、ともに、「居心地が悪い」。ロケーション、アメニティ、価格、どれをとってもリーズナブルなのだが、また、泊まろうとする気がしない。非科学的だが「霊的」みたいな物を感じる。だから、居たくない。今は改築したが、堂山に近い仏教系チェーンホテルも、改築前は最低だった。バス・トイレ別のビジネスホテルはしばらく泊まったことが無かった。
 最近では、全国チェーンのTというホテルに泊まることが多い。理由は、清潔、掃除の行き届き方が、他のホテルと比べて圧倒的に良かったからである。ビジネスホテルでよくあるユニットバスで、湯船に入ると、洗面台の裏側がよく見える。たいがいのホテルの掃除は、ここまで手が回らないことが多い。中級ホテルも然りである。最初に泊まって、ここまで掃除している事に気を良くして、選択肢が無くなると、そのチェーンに泊まる。大阪では大体二人で9000円くらい。今月初めは、そのチェーンから浮気して、ウイークリーマンションに2泊した。キッチンや電子レンジ、食器が備え付けられていて、それを便利ととるか、所帯じみたととるか。基本はワンルームマンションなので、部屋の広さも、狭いビジネスホテルの2倍くらいはあり、隣部屋との境はしっかりしており、音の心配もない。ここは1部屋二人で7500円。
  那覇では、定宿が決まっており、松山のT。ツインで6000円、シングル4000円というプライスは、多分、このクラスのホテルなら文句なく費用対効果が一番。さらに、スタンプカードがあって、10泊すれば1泊タダ。さらに土日祝日は1割引。そのうえ、チェックアウト時間が11時と、これまた文句なし。飲んだ翌朝10時はキツイもの。
  今月末に、某所で泊まるホテルの予約を、代理店を通じてネットでした。シングル1泊、3500円。さて、どんな宿か、報告は後で。

投稿者 tokyobear : 18:19 | コメント (0) | トラックバック

コミュニティ

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何処かのゲイブログで、「コミュニティ」ってなに、と、問うているのをみた。トラバなりコメントは何か難しい事ばかり。うっかりトラバると火の粉がかかりそうで止めた。

  ゲイを社会学的分析に論じているサイトは、私の基礎学力不足からか、面白いと感じたことがない。「議論」を楽しんでいるのはわかるが、まな板にのっているのは、たまたま「ゲイ」だっただけ。そのまな板に他の文言が入っても、多分、同じような論議が続くと思う。このことは、ずーっと昔から、パソコン通信で派手にやっていた、ゲイリブに関する論議も同じ。
  討論することは、とても大事であって、それらを非難するつもりは、全くない。ドンドンすべきである。しかし現状では、あまりにもクローズドではないか。議論を「楽しめる」レベルでないと、到底参加できない。下手に口出しすると、理論武装している彼らに、軽く折りたたまれる。
  <ゲイ>に関しては、老若を問わず、何かを話したい、意見を聞きたいと、と、考える人が少なからずいると思う。これは、派手に2丁目、ハッテン場にでている人(Ex.私)も、それらにでない人、ホモフォビアなゲイ、地方在住や妻帯者でそのようなところに出たくても出られない人、など、いくつものシチエーションを思い浮かぶが、セックスを除いた「真面目」な意見交換の場を必要としているのではないか。
  インターネットはそれができる、もし、やろうとしたら、主宰者は、心労を伴うことは確かだが、有意義な議論が期待できる。ただ自由に書いてもらうと、誹謗中傷の嵐になるのは見えているので、何か工夫が必要であるが。
  引用した写真は、私も参加しているBOSFのロゴであるが、"Non-profit organization serving the San Francisco bay area bear community" とあるが、ウチのクラブも"San Fran ..."を"Tokyo"に変えれば同じと考える。
  いわゆる「ゲイ団体」の方々は、我々のような団体を、完全に無視をするのは何故だろう? セクシャルオリエンテーションのつながりで、500名に近い会員を擁する団体は、日本はおろか、世界でも数少ないと思うのだが。コミュニティ、コミュニティと言っていて、その範囲を狭くするのは何故だろう? ウチらもそのコミュニティの一員なんだよ。と、その団体の方々に言いたい。
(実は数年前敵地の某団体主催のプリイベントのオープンなパーティに赴いたが、全く相手にされなかった。その団体全ての方がそうだとは思わないが、物事を狭く見過ぎている)
  そんなことだから、まとまらないんだよ!と、ぼやきたくなるのである。

投稿者 tokyobear : 17:58 | コメント (1) | トラックバック

金1000円也

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  私は、時にものすごく保守的、というか、億劫で、物事を変えられないことがある。その代表は床屋だ。

 私は、生まれてこの方、4年ほど、隣の駅周辺に住んでいた時以外は、同じ街に住んでいる。そのよう状態で、生まれて初めて、母親に連れて行かれた床屋へ、33歳まで、毎月1回、浮気せず通っていた。
この地元の床屋、とても凄い。従業員が30年以上変わらない!のである。マスターと従業員3人でやっているのが、始めて行ったそのときから、今日までその4人は変わっていないのである。 30歳すぎに行っていたときにも「XXちゃん」と呼ばれる始末。 そのほかは、30代半ばで、1ヶ月ほど入院したときに、1回だけ病院の付属の理容室へ行ったことがある。
 そのあと、隣町へ転居したのをきっかけに、ゲイ(短髪)業界で有名な床屋へ変えた。この床屋、技術は最高である。私は小さい頃から短髪で、以来30年間ほど短髪を続けている。故に、最長でも月1回は床屋に行かなくてはならない。ここは、ゲイのテイストの短髪が素晴らしく、9年間通っている。技術料は金4000円也。
 今日、思い立って、最近地元にできたQ_Bなる1000円理容室行ってみた。我が生涯4軒目の床屋である。短髪をやってくれるのだろうか?と素朴な疑問があったのだが、行ってみたら、なんと、一番短い短髪は1ミリまで応需するという。カット専門で、顔そり、シャンプーは無し。時間は10分ということになっているのだが、短髪ということで少々オーバーしたが、多少の注文も聞いてくれて、できあがりも、まぁまぁ。これでも良いじゃないか、と思った。 短髪専門店の某店に行くと、技術料と交通費で5000円、時間が電車を含めて4時間弱かかる。 某店のマスターと従業員方々もとても良い方々なので、全く行かなくなるとはならないが、財布が苦しい時は、1000円理容室は重宝すると思う。

引用写真:キュービーネットKKのHPより

投稿者 tokyobear : 17:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月10日

ポテトいかがですか?

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  昨日、ウチのパートナーと会話していて思ったのだが、彼は、最近、歯を根本的に治そうとして、歯科医院にかかり、歯科衛生士の方に、歯石を取ってもらったそうな。もちろん、彼の地元の関西で。

 書きたくは無いのだが、彼も、私も、ちらほら「加齢」という言葉が聞こえてくる年代。歯のほうも、隙間が空いてきた。彼はデンタルフロスでケアしていたのだが、衛生士さんから、歯_間ブラシを勧められたそうな。 その結果、その医院で、とあるメーカーのブラシを買った。これが630円。5本で。
 実は、私も、全く同じ経験をした。この冬、東京で、歯の総合診断をしてもらったら、歯石を取って、ブラシを買わされた。私の場合は、とても細いので、医家向けの製品でなければ買えない、といわれたのだが。確かに横文字の並ぶメーカーで、マニア受けしそうだけれど、ライオンなどの同等品が、半額程度の値段で買える現実を知った。まぁ、東京などは歯科医院乱立の様相を呈していて、医院間の競争が激しくなり、一つの医院の患者数が減り、経営が大変、という構図が浮かぶ。たかが630円のブラシだって、新患全員に売ったら、結構、良い商売になる。と、考えるのは安易だろうか?これは、ハンバーガーショップの「ポテトはいかがですか?」とおなじじゃないか。

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晴れのち曇り時々雨

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変な一日だった。中途半端に蒸し暑く、昼になって曇りだし、夜になって稲妻が光って、少し雨が降った。 そんななか、昨日と今日、外国人旅行者へのお手伝いをしていた。
 

ウチのクラブの活動の中に「外国旅行者へのサービス」という一項がある。 クラブのHPの英語の部分に、「もし、東京に来たら連絡をください、会って話をしませんか」という旨の事を書いている。 対象は、一応、「熊」関係の方となっているが、連絡をくれた方には差別なくサービスしている。 
 もちろん、商売で行っているわけでないので、ボランティア活動。 ゲイで、知らない街を訪れて、その街のゲイコミュニティ、平たく言えばバーやサウナなど、行きたいと思う人は多いと思う。 自分の国の中なら、情報を仕入れるのも簡単だし、コミュニケーションも取れる。習慣、風習なども多少の違いがあっても、対処できる。これが、外国だったらどうであろうか。旅慣れた人ならともかく、ごくごく一般の人は、他国のゲイコミュニティの扉を開けるのは難しい。
 私自身も、外国で、友人がアドバイスや実際に同行してくれたから、バーに行けたことが少なくない。恩返しではないのだが、日本に来る外国人のために、少し、アドバイスできたらと、純粋に思って始めたサービス、まあ、日本にいて、外国の熊にあえる(あいたい)気持ちも多少は含んでいた。
 始めて6年、数はそれほど多くはないけれど、数十組の人たちと会い、喋り、飲んだ。国も様々である。米国の方が多いのだが、ヨーロッパの方も満遍なく来ている。
 サービスというと少しおこがましいのだが、たいがいのパターンは、夕方ホテルでピックアップして、居酒屋などで、喋りながら飲んで、頃合いを見て新宿2丁目へ行き、バーを数軒廻る、というパターンが多い。昼の観光は、彼らで、どうにかなるし、必要なら、交通機関などのアドバイスも、事前にする。東京は地下鉄などの公共交通機関が発達しているので、1日乗車券を使って観光すると便利、などとアドバイスする。また、事前に、バーの料金システムについて、説明しておくこともある。 アメリカのバーでは、チップが要るものの、ビールは2~3ドルで飲める、しかし、日本では、「セット」でビール1本1~1.5千円もする。オーダーしていない「お通し」が半ば強制的にでる、などと、説明することはたくさんある。 サウナになると説明しなければならないことが、さらに増える。
 昨日と今日ともにしたカップルは、トルコ人の両親を持ち、ドイツで生まれて育ち、現在ロンドン住まいの38歳とオーストラリア生まれで、ロンドンに移り住んで来た39歳だった。 東京で会った人達は、今までロンドンの人はいなかったので、日本と英国の違いに話の花が咲いた。 私はしゃべり出すと止まらないので、昨日始めて会って、食事とバーを含めて約7時間ほど喋った。今日はその続きで、夕食をともにした。この活動も、今のところ一人でやっているので、無理はしないようにしている。もちろん、仕事優先で、時間の合間を見つけてやりくりしている。
 ヨーロッパに「スパルタカス」という、ゲイの旅行便利帳がある。国別に、簡単にバーやサウナ、各種団体とか風習習慣まで載っている。 その、日本の項に、我々の団体が、掲載されているので、そちらからもコンタクトがある。
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写真:スパルタカス社より郵送されてきたステッカー「Listed in SPARTACUS 2004/2005」
引用写真:スパルタカス社のHPより http://www.spartacus.info/

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2004年09月08日

初めて会った・・・

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 私の場合、自分がゲイと気がついたのは12歳のときだが、行動に移したのは20代後半。86年頃、初めて渡米したとき、サンフランシスコで「アドボケイト」誌を購入し、広告欄に載っていた、アメリカでとても真面目な某キリスト教会のゲイ団体にコンタクトをとった。後に、会員交流の1週間のキャンプミーティングに参加した。当時は殆ど英語が喋れず、コーディネータに、お願いして、通訳として会ったボランティアの方が、「初めて会った自分以外のゲイ」だった。

 その方は日本人で留学している地元の大学の教育補助の方で、年齢も、同じくらいの方だったが、数時間話した後、彼はHIVポジティブだと私に告白した。 そのときは、素直にその事実を聞くことができた。 それ以来、意外と多くのHIVポジティブの方とお会いしたり、付き合ったりした。 もちろん、HIVは大変な病気と認識していたが、それを抱えている人とは全く別、という認識がはっきりなされたと思う。
 余談だが、彼の母親は偶然にも私の職場が経営している付属病院の看護婦をなさっており、後年、お会いする機会があった。世の中は狭い。
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ぼせweb:2.初めて会った自分以外のゲイ(レズビアン) - [同性が好きかもしれないキミへ]

引用写真:The award-winning national gay & lesbian newsmagazine Web site 
http://www.advocate.com/

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2004年09月07日

ライバル

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 資本主義の世の中、独占は価格の硬化となる。過去には、あちこちでライバル会社が火花を散らした。思うがままに書くと、写真フィルムのサクラと富士、炭酸飲料のコカコーラとペプシコーラ、平凡パンチとプレーボーイ、鉄道の西武と東急、マヨネーズの味の素とキューピーなどなど。「良い勝負している」ライバル間競争がおこなわれていた。

 このごろ、企業が増え、二つの企業で、市場を独占するパターンが少なくなっていると思うしコカコーラとペプシコーラのように、日本では勝負がついたものもある。 その中で華々しく勝負を繰り返しているのは日本の航空会社である。 日本航空(JL)グループ対全日空(NH)グループ。おもしろいほど、相手を意識している。 カンパニーカラーはJLは赤、NHは青。手元にはNHのものしかないが、時刻表には「赤」の色調のページがない。全体に「青」基調。JLは、自社、関連会社はすべてJで始まる名称。JAL、JAC、JTA、JAAなど、対してNHは極力Aではじまり、「J」は使いたくないようだ。ANA、ANK、A-NET、Air-Japanは、仕方なくか。以前は「ワールドエアネットワーク・WAC」という会社名だった。
 JL・NHで一方の会社にあって、一方の会社に無いものはほとんど無い。サービスにおいても同じ。最近、JLがスーパーシートを廃止して「クラスJ」なるものを作ったが、NHはそのままスーパーシートを設けている。それ以外は、細かいことをのぞけば大体同じ。同じサービスを、違う名前に置き換えてしているのである。 安売り運賃のJL「バーゲンフェア」に対してNH「超割」、特定の便の割引運賃JL「特便割引」、NH「特割」、前の週に発表される運賃JL「タイム割引」、NH「突然割引」、国際線PEX運賃JL「JAL悟空」対NH「とび丸」(現GET)などなど。 おもしろいことに、ラウンジの名前が、JLが「サクラ」に対してNHが「富士」(現、シグネット)。フィルム会社と同じ。片方が、おしぼりの廃止をすると、もう一方がすぐに追従する。
 さて、大体似たような・・・と感じていたのだが、先週末の台風18号の際、沖縄線で大きな差が生まれた。時間帯が多少ずれているので、100%同じ土俵とはいえないのだが、9月4~5日のJLの欠航数とNHの欠航数に大きな差が出たのである。JL40に対してNH28。那覇での状況が凄い。5日は当然、朝から空港閉鎖。1便も飛んでいない状態。6日は、午後から運行が再開されたが、JLは約2日間の足止めで、キャンセル待ちが4000番を超えた。一方、NHは、6日の夕方、空席をチェックしたら、20時の便に1席空席を見つけた。よって、NH利用者はほぼ全員1日遅れで、帰京できたと推測できる。
 JLは悲惨だった。このような状態では、たぶん、那覇市内のホテルはすべて満員だろう。実際、琉球新報の報道では、民間のボランティアが、自宅を開放し、旅行者を泊めたとか・・・。心意気は買うが、のべ6万人が那覇で1泊しなければならなくなったのに、28人では。これからの、運営に期待したい。 空港にはホテルに泊まらない(泊まれない)旅客が溢れ、とうとう、前代未聞の深夜便を2本出すことになった。(下記写真参照) この便、羽田に早朝着いて、どのように対処したのであろうか。まぁNHも23時に到着するはずの定期便が深夜1時30分すぎ到着だったので、こちらもおなじ。
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引用写真:2004年9月7日、日本航空HPより www.jal.co.jp

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ネタ本

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ブログ日記を書かないと、メインページがどんどん寂しくなっていくので、脅迫観念にちかい感覚で、今日の話題を書いている。 

 「トレビアの泉」が評判になったように、「へぇ~」と思わせる事は、言う方も、聞く方も楽しいものである。
 困ったときに頼りがいのある本は、"The World Almanac And Book of Facts" だ。アメリカ発行の本で内容は、歴史、政治、教育、地理、天文など多岐にわたる内容である。 最近、関心したのは、「世界で使われている言語」で、日本語は、世界で8位、そんなにマイナーな言葉では無いことが解る。1位から、中国語、ヒンディー語、英語、西語、ベンガル語、葡萄牙語、露語、日本語、ドイツ語、朝鮮語、仏語と続く)。人口の多さは世界で10番目。世界で一番大きい都市は東京、大阪は13位。
 アメリカを訪れる人数のトップはカナダ次はメキシコ、その次は日本。イギリスは次点。世界で一番、多くの人が訪れる観光地は、東京ディズニーランド、2位はフロリダのディズニーワールド、3位はカルフォルニアのディズニーランド。7位に大阪のUSJ。携帯電話の普及率は1位がルクセンブルグで、人口比97%、同率で台湾、香港は85%、イタリア84%、と続き、日本は32位で59%。

写真引用:同社HPより www.worldalmanac.com

投稿者 tokyobear : 17:45 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月06日

天災

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 9月1日は防災の日、各地で訓練が行われた。 その日深夜、浅間山が噴火。そして、9月5日、夜に2回の地震、次の日は台風で、沖縄は「観測史上最低気圧」を記録した。

 人生42年ほど東京で生きてきて、「自然の驚異」を感じたことはない。 昭和40年代、河川の改修が不備だった頃、近くの小さな河川が氾濫したことはある。床下浸水。しかし、これも、子供心には、それほど恐怖感は無かった。日頃通りなれている道が、川になって、地元消防の人たちがボートなど出していた記憶があるが、生死に関わる問題ではなかった。 地震もせいぜい震度5程度の体験。噴火に関しては全くの他人事、三宅島の噴火で、僅かばかり降灰があったくらい。よく、海外にも行くが、災害については特に記憶がない。せいぜい、30歳の時いった、バフィン島でマイナス50度を体験したくらい。これも、これほど寒くなるとは予想していなかったが、それなりの装備をしていったので、特に問題はなかった。
 5日の19時の地震は、震源地に近い泉佐野の駅前にいた。関空が近いだけの、少し寂しい駅前で、夕食を摂るべく、商店街を物色している真最中。まず、閉まっているシャッターのガタガタという音、なんか変と気がつくと、足下が揺れている、視線をあげると、街路灯が揺れ、それに引きずられて電線が揺れている。 駅前に止まっていたバスの乗務員が、慌てて飛び出し、開いている店の人も飛び出してきた。地震の1分後、一軒のお好み焼き屋に入ったが、従業員は少し興奮状態。テレビでは、「地震速報」を1分おきに流していた。店を出て南海電車に乗ろうとしたら、地震で不通。結局1時間強止まった。
 この地震も、結果的には被害にはあわなかった。しかしながら、いままでの歴史を振り返っても、何かしらの災害は「忘れた頃」やってくるのが常である。 今年こそ、災害に備え、防災グッズなど物的な備えとともに、「自然」への恐ろしさ、人間は無力であることを再認識すべきと感じた。

引用写真:日本気象協会 http://www.tenki.jp/qua/quake_28.html

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2004年09月02日

東京・大阪間

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 私のパートナーは、関西在住、いわゆる「遠距離」(あえて「恋愛」の語はつけない)だ。 この5年間、平均月1回は逢っている。

 まあ、行ったりきたりと、旅行先で落ち合ったりとパターンは色々。 普通に考えて、東京・大阪間の移動は新幹線が便利だと思う。しかし、ほとんど利用しない。たいがいは、飛行機に乗って行く。このごろ、仕事が終わって、そのまま3時間弱の新幹線は辛い。飛行機も空港までの移動を考えれば、時間的にはほぼ同じ。しかし、機内拘束時間は1時間。やっぱり、選ぶのならヒコーキ。
 みみっちぃ話だが、交通費もバカにならない。まともにキップを買うと、新幹線は13750円、これに対し、飛行機は18500円(盆暮れゴールデンウィークは20500円)。これは、正価。いまは、この値段で乗る人は希ではないか。新幹線は、金券ショップで、12000円強で「新幹線ビジネスきっぷ」まぁ、新幹線の回数券みたいなものが買える。対するヒコーキも、当日ならば、「往復割引」よりも安い「シャトル往復運賃」があって、13700円。ただし、同じ人が7日以内で往復するときに限られる。前日までに、予約できるのならば、航空会社の特定の便に対する割引。深夜、早朝便は特に安く、一番安いのは9000円。日中でも10500円の便がある。東京・大阪間はビジネス路線なので、朝の便と夕~夜の便が高い。私も利便性から伊丹行き最終19:30はよく利用する、が、金曜日は14000円なり。
 ヒコーキ利用の場合、空席照会から、予約、発券まで、すべてネットで行えるのも、大きなポイント。マイルもつくが、安い券だと、同区間207マイル。
 新幹線、ヒコーキは移動手段ランクの松竹梅の松。 次は竹。 ネットで調べると、「出張ツアー」と、称して航空券とホテルのパックがある。安いのは2万円を切るものも存在する。どう考えても安い。しかし、私は使えない。まず、パックの申し込み締め切り日が、大体10日前。それまでに、代金を銀行振り込みする必要がある。時刻が選べない、または、良い時間帯の便は割り増しが必要。 私のように、ぎりぎりまで、予定を立てない、予約の束縛が嫌いな人には向かない。そのなかでも、JR東海ツアーズが、やっている、「ぷらっとこだまプラン」は、東京駅から新大阪駅まで、1万円で4時間。前日までの予約。ただし、こだまの指定席利用となっている。この「指定席」がくせ者。「こだま」号は、ほとんどが自由席。たいがいの場合は、ガラガラ状態。しかし、このプランは、「指定席」に着席していなければならない、縛り、が存在する。自由席がどんなにガラガラでも、席の移動はできないのである。ガラガラのこだま号であるが、このプランのためか、指定席は、比較的混んでいる。実質上これは「指定席」という名の「隔離席」となっている。 ビジネスパックは、旅行の日程がはっきりしている人にはお勧めだし、「ぷらっとこだま」も、2、3人のグループなら、問題ないだろう。
 さて、梅。いかにして1円でも安くこの区間を移動するかだが、これはバスになる。たぶん、一番安いのは、JRバスの「東海道・中央道昼特急」で往復1万円。片道だと6千円。8時間強。夜行バスの車両を使っているので横3列で、幅はまあまあだけれども、2階建てのため天井が低い。バスのため、高速道路の状況如何では、到着が大幅に遅れる。乗った感想だが、下車しても、しばらくの間、バス特有の微震道が体から抜けなかった。この区間のバスは、夜行の方が高い。「ドリーム号」は片道8970円、横4列のの普通のバスを使う「青春ドリーム号」だと片道5000円。最近この区間に参入した近鉄バス・東北急行バスは夜行便、横四列シートで、なんと、片道4800円也。8時間強。文句なく最安値。
 番外編、「青春18きっぷ」これは期間限定の隠し球である。学校の春・夏・冬休みに限定発売されるJRのキップ。全国のJRの「普通列車」のみ有効。これがミソ。期間内5回分のキップで11500円。バラ売り不可。1枚のキップで5回使うので、一人で5回使うか、二人で2回同一行動し、一人で1回など、使い方に工夫が必要。 東京・大阪は9時間前後。東海道線には、快速列車の夜行「ながら」があるので、利用価値大。大阪はもとより、東京・横浜間別途キップを買うことにより、快速、普通列車に乗り継いで、1日で熊本、八代まで行き着く。
 (アップした写真はこの企画キップが発売された年のもの、当時は「のびのび」がついていた)
 
 

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