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2004年09月17日

社会デビュー

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私の社会デビューは、とても早かった。早熟というか、ませていたとゆうか。13歳の頃から一廻り以上うえの人間とつきあっていた。

  私は、小さい頃から放浪癖があり、小学校低学年から、一人で電車に乗って、どこへでも行けた。夜でも怖くなかった。最終近くの電車で、寝過ごして、母親に迎えに来てもらったことも何度かあった。
  中学生になり、本格的な旅行がしたくなった。しかし、オカネがない。バイトは中学生だからできない。しかし、外出をしたい欲求は募る。そこで目をつけたのはユースホステルである。ドイツが発祥の地で、青少年のために、安全で安価な宿泊施設を提供すること目的としている。日本では昭和40年代から50年代にブームとなり、最盛期には全国で500件、特に北海道では100件を超える施設があった。男女別で2段ベッドの寝室。アルコールは厳禁。消灯10時。食事の後かたづけや施設の掃除も皆で行う、というもの。現代なら受け入れられないであろうが、当時は、1泊2食で1150円。食事をとらずに自炊すれば600円で1泊できた時代である。当時の都営のユースホステル(YH)は、さらに安く、1泊素泊まり200円。
  さすがに中学生では遠隔地へ単独の旅行は許されず、東京郊外のあるYHへ泊まることになった。当時は、各YH主催で、行事や催し物を行うことが多く、そのときも、野鳥を観察する「探鳥会」なるものに参加した。参加者は、若い社会人が多く、次いで大学生だった。中学生は皆無。その雰囲気が気に入って、そのYHでも、常連宿泊者を中心とした自然観察グループがあり、活発に活動していた。 今思えば、ワンダーフォーゲル(ワンゲル)部の自然観察組のような、山志向のサークルだった。入会したのは13歳の春。毎月1回の「自然観察会」で野や山へ、植物や鳥の観察。年に1回夏の合宿は、主に八ヶ岳方面へ行った。
  ここで、問題になるのは、私は、「自然観察が好きだったか?」ということであるが、これは手段、理由づけに他ならない。その30名ほどのサークルに籍をおき、活動に参加していたことに、意味を見いだしていたのである。当時、会長は30歳くらい、役員も25~6であったように記憶している。 職業も、そのYHの常勤職員の方、高校教師、OL、設計士、獣医など多彩な顔ぶれであった。男女比は6:4位で男が多かった。
  月1回、新宿の談話室「滝沢」で、会の運営を決める「例会」という集まりが行われていた。入会1年目で、若干14歳で、その会の会計係を仰せつかり、毎月、その会に出るのが楽しみだった。社会人がメインということで、「例会」のあと、アルコールが絡む事がほとんどであった。当時から老け顔の私は、皆に連れられて「大信州」という居酒屋に連れ込まれていた。皆は、当然、私の実年齢を知っていたのだが、おもしろがって、私に酒を勧めた。皆の期待を裏切って、私は、当時から、酒が、飲めたのである。それも、大の大人よりも、多量の酒を飲んでも、ケロッとしていたのである。
  13~14歳のガキが、一廻り以上も上の社会人達を相手に、酒を飲んで、議論をふっかけることもあり、教育者が見ればトンデモナイ中学生だった。 
  この経験が、今でも自分の形成に大きく影響しているとおもう。酒の飲み方も教わった、14歳で、深酒をして、二日酔いの苦しみを味わった。
  このサークルは、結局私の高校時代に、自然消滅した。しかし、わたしは、高校時代、大学時代と、YHを使った旅行にはまることになるのである。

投稿者 tokyobear : 2004年09月17日 21:12

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