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2004年08月31日

プロジェクト

s-dssp.jpg
私自身、新しい物好きで、何でも、飛びついてしまう性格で、このブログもそう。トラックバックなる手段は、なれるまではチト敷居が高いのは、前に書いたとおり。 

 そのなか、トラックバックしてくれた方のサイトを伝って、「同性が好きかもしれないキミへ]プロジェクト」に行き着いた。詳しくは、同ブログへ行ってほしい。 ゲイのブロガーって多いの?と、少し疑問はあるが、趣意には大いに賛同する。
 面識もないかたへ(から)トラックバックを受けるのが、ブログの醍醐味か。
ぼせweb:[同性が好きかもしれないキミへ]プロジェクト始めます

投稿者 tokyobear : 20:00 | コメント (0) | トラックバック

ご意見

 こうやって、AMラジオのことばっかり書いていると、私のネタはAMラジオから持ってきているのか、と思われてしまう。でも、半分はアタリ。

 ここ何十年も、地上波テレビを見なくなっている。自分を偉そうに見せるわけではないのだが、「おもしろくない」のである。人に付き合って今回のオリンピックを見た時間もあるが、継続的に見る気がしない。特に民放は、現在定期的に見ているのは、前述の「きらきら・・」のみ。CMどうのこうの前に、見た後で、時間を無駄にしたと思うのが嫌だ。五月蠅いのも嫌。
 そこで、件のAMラジオの登場である。まず、じゃまにならない、このように文章を書いていても、かまわず、ながせておける。平日、休みで自宅にいると、朝から夜までの聴くラジオの自分専用の番組表が決まっている。バラエティー系からちょっと「お堅い」系まで。
 それと、がんじがらめのテレビと違って、ある程度、放送している人が自由にしゃべることができている。これは重要なことである。テレビの場合、ある事件が起こって、それにコメントをする人が必要だとおもうと、局側が、「このくらいのコメント」をしてくれる人を探し、局側の意に沿った人が、その通りしゃべる。だから、テレビ局はその人の肩書きがあって、無難な事を言うコメンテーターを重宝する。
 ラジオをは、そこまでひどくない。ある程度、自由に話している(と感じることができる)。 その中で、TBS(東京放送)ラジオ、デイ・キャッチは、中々、コメンテーターがおもしろい。特に、金曜日の社会学者、宮台真司(都立大、助教授)が秀逸。最近では、映画華氏511の批評が、聴いていて、本当に、感心させられた。(宮台氏は数年前、HIVとゲイ関連で、前のパートナーと公開トークをおこなったこともある。彼の公式HPといってもBlogだが、http://www.miyadai.com/、社会学者、サブカルをテーマ)
 興味のある方は、TBSラジオホームページ http://www.tbs.co.jp/954/index-j.html にアクセスして、聴くと良い。(宮台氏のコメントの放送は毎週金曜のみなので、金曜番組終了後から、月曜、夕方まで聴取可能)。
 ついでだが、同じ局の、「アクセス」も、なかなか。聴く機会が少ないの残念。えのきどいちろう、田中康夫、宮崎哲弥などがコメンテーター。
 

投稿者 tokyobear : 13:50 | コメント (0) | トラックバック

グー_グル対策

グーグルは、多用している。とても便利に思う。これがないと、インターネットの利便性が大きく損なわれると、さえ、思う。

 しかしながら、その情報の取得方法が凄いのである。この、超場末的ブログでも、2日前に書いたことをぐぐると、ちゃんと持ってきてくれる。
 先日も、インターネット初心者の方に、この話題をして、では、自分の名前を検索してみたら、と、言ったら、ちゃんと出てきた。 ちょっとした、BBSに本名を書いたらしいが、それを2件拾ってきた。
 なにか怖い。何かをしらべようとして、ぐぐって、そのそものサイトを紹介されるのは良いが、文章の中に、その単語がたった、一言、かかれている、そのサイトを検索結果で出されるのは、抵抗がある。
 大意は無いが、ここに「夏目漱石」と書くと、数日後には検索対象になる。どう思いますか?
夏目漱石のことを調べようとして、このブログに行き着く。いいことかなぁ?
 このブログでは、その対策をする必要があるとき、この駄文の今日のタイトルのように、すこし、手を入れることがある。

投稿者 tokyobear : 12:58 | コメント (0) | トラックバック

宿題

 8月31日の話題の定番。宿題。小学校時代の今日、必死で宿題をやった気がする。が、結局70%ぐらいで妥協していた。日記は、新聞のバックナンバーで、天気気温だけで誤魔化したりした。

 この話題を、私の周りの親しい人たちに聴いてみると、たいがいの人が、小学生時代、この日に自分はもちろん、周りのひとを巻き込んで、宿題をやっていたという人が多い。
 学校側としては、「絵日記」などを利用して、毎日に必ず、机にむかわそう、とする、魂胆がうかがえる。こどもたちは、単純かつ遊びにどん欲である。大人になってからの「怠惰」とは違うが。夏休み当初の「やっておかなければ、後がタイヘン」としぶしぶやっていたのは、ほんの数日、そのあとは、見事に忘れる。そして1ヶ月。8月25日をすぎたころになると「あーたいへんだぁ」と思う。自分が基準とは思わないが、これが、自然じゃないかなぁ。
 今の有名学校進学態勢の小学生では解らないけど、35年前の小学校では、みんな、毎日決まった時間机に向かっていたとは思えない。それでも、9月1日には、みな、宿題をこなして、提出していた。
 私の小学生時代、日頃の「宿題」もよく忘れた。よく立たされた。「忘れた」と書いたが、実は、「やる気がなかったのでやらなかった」と書くのが正当。今思えば、教師の立場としては、じつにやっかいな生徒だったと思う。しかし、教師に、はむかう気持ちは全くなく、穏便に済ませたいから「忘れました」と言っていた。
 で、私は宿題もやらないで、トップでした、と書けば、なるほど、「神童」だったのねと、納得するかもしれないが、成績はたいがいの場合ブービー賞。通知票でも、良いことをかかれたことが、一度も無かった。クラスの中では、ほとんど目立たない存在だったが、教師からみれば、嫌な意味で目立っていたことであろう。
 幼年期、青年期に学校で普通の人が教わる、一般的な教養の一部が、私の頭から、スコーンと抜けているので、これをお読みになっている方はご注意頂きたい(笑)。自分の興味のあることは、深くつっこむが、そうでないものは、常識的なことも欠如している。
 一般論ではあるが、何が教育なのか、もう、ニッポンのエライひともこどもの親も考え直す時期を、とっくに過ぎている。人間が人間として、人間の中で楽しく生きていくための常識は、いまの教育の中で教えていることは、あまりにも少ない。

投稿者 tokyobear : 12:16 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月30日

午後11時から午前5時

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 またまた、ラジオネタ。以前、昔の深夜放送のことを書いたが、今日は現在進行形の番組。かなり、ジジくさい話題。

 ラジオ深夜便。NHKラジオで夜11時から朝5時まで、毎日放送している深夜放送。 内容は、万人向けというよりも、シルバーエイジ向け味付けがなされている。これを「落ち着いている」ととるか「元気がない」ととるかで、評価は変わる。 家に居て、この時間起きていても、滅多に聴くことはないが、新宿や浅草への深夜徘徊の際、クルマに乗っているときは、たいがい聴く。毎時のニュースもいい。既述の民放深夜放送ブームはかなり遠い過去。いまは、「五月蠅くて」聴いていられない。
 放送を担当するアナウンサーをこの番組では「アンカー」と称する。かなり人生経験を積んだ人たちばかりだ。わざとそうしているのではないかと思うほど、ゆっくりしゃべる。
 NHKのアナウンサーは、数字の「0」を「れい」と発音し、「ゼロ」とは言わない。例えば、放送で電話番号を伝えるとき、民放ではほとんど「ゼロ・サン・・・」NHKは「れい・さん・・・」、このような小さな事でも、印象は随分違う。
 この放送も「生放送」。数十年前、多くの受験生が同じ時間を共有し、深夜放送を支持した。その世代が今は中年から初老。いまでは、深夜勤務の傍ら共有し、病床の身で眠れぬ夜を共有する。流行る番組は昔も今も「生放送」ではないか?この「時間共有感」は絶対に侮れない。
 この番組、深夜12時の数分前に、「全国の明日の日の出時刻」を放送する。たぶん、最初は、時間の穴埋めか、あまり意味を持たせて放送したと思えないのだが、聴取者が、これを毎日書き留めて、明日への生きる希望を得たとか。
 アップした写真のとおり、雑誌は出版されるは、全国各地で行われる「集い」も満員御礼と聞く。ファンのパワーは昔のように強い。
 8月30日、満月、日の出の時刻、札幌4時56分、東京5時11分、那覇6時8分。
 

投稿者 tokyobear : 12:41 | コメント (3) | トラックバック

2004年08月28日

ウイルス対策

ウイルス対策。もらってしまうと、何とも厄介なシロモノである。

 先日、検査の結果を聞きにいった。いくつになっても、この状況は緊張する。生理的に嫌いである。行き先は「東京都新宿南検査室」、そう、HIVの抗体検査。
 初めて受けたのは、28歳のとき、東京都が重い腰を上げ、世界エイズデーに関連した催しとして、広く一般の人に、無料で抗体検査を行ったのだ。場所は中野サンプラザ前の広場。当時の状況をはっきり覚えている。検査申し込みは、住所氏名、年齢職業をきっちり書かされた。寒い中、街頭で、仕切りのないテントの中で採血された。
 2週間くらい待たされた。その中で、色々な悪行を思い出しながら、心の中では震えながら待った。その結果が下の写真である。実名、公印入りの通知書。
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 今の感覚でいえば、「とんでもない」体制だが、当時は、これも画期的な出来事であった。プライバシーの感覚も薄い、表記に「AIDS抗体」と表記するなど、慌てて、「取り急ぎ、やってみました」程度のものではあるが。陽性者へのサポートはどうだったのだろうか。想像すると怖い。
 それ以来、ある程度定期的に受けている。特に90年代は、サンフランシスコに入り浸っているため、いくら安全に、事を行っているとはいえ、やはり、グレーゾーンはある。よって、確率は、かなり高くなっていると自覚している。だから、検査しなきゃ、とは思うけど、結果を聞くのはいつも辛い。この繰り返しの14年間。
 以前、本当の安全な行為は、電話&ネットの上だけと言われた。確かに、これは間違いない。しかしながら、私は、それでは我慢できない。いろいろな行為を、色々な場所で、いろいろな人と行っている。その行為の最中、小さな妥協が生まれる。さすがに一般的に危険と考えられている行為は、避けるが、グレーゾーンの行為は、してしまうことが多い。こうして、数年が過ぎ、過去のグレーゾーン行為の回数が増え、検査の結果を聞きに行きずらくなる。だから、のびのびになり、回数が増え、悪循環である。
私の周りにはHIVと共生している人が、何人かいる。10年前付き合っていた人は、最初から、私にカミングアウトしていて、その上で、付き合い始めた。その人は、現在も、うるさいほど元気だが、悲しい事も数回あった。
10余年前から比べれば、行政側、NPOともに量・質とも向上した。草の根運動的に、バーなどにコンドームを配っている方々など、本当に献身的と思う。aktaもそのひとつ。
 現実的には、中年域の方が、発症してから受診するケースが多いと聞く。10年前、治療薬はAZTしかなかった。今はプロティアーゼ阻害剤他、有効な薬剤が相当数あり、それを組み合わせることにより、治療の効果を上げることができるようになった。至死の病から慢性血液疾患に変わってきた。
 マスコミが取り上げなくなっても、確実に感染者数は増えている。それぞれの人の周りに、HIVを持った人がいないので、もう、収まったかと、感じている人も多いのではないか。若年層では、医療技術の進歩の報道などで、薬を飲めば「完治」すると思う人もいるだろう。
 確かに、HIVに感染したくらいでは、現在の医療技術では、当分死なない。しかし、その間、ずっと、薬を飲み続けなければならない。長期投与による、副作用の例も増えつつある。経済的にもつらい、ある友人は、生涯払い続けなければならないローンを組んだようだと、私に言った。社会的にも、偏見や差別が無くなったとは聞いたことがない。やっぱり、感染しない方が絶対に良い。・・・・これは、頭で考えていることである。下半身の行動と、相対することのコントロールの難しさ。しばらくは、怖々、検査を受けに行くことが続く。
 検査所の帰り、電車で隣に座った女性が、着席したとたん、某量販店で購入したと思われるパソコンソフトのパッケージを袋からだした。「これで安心、ウイルス対策・・・」。あまりのタイミングの良さに、心の中で笑ってしまった。

投稿者 tokyobear : 13:54 | コメント (1) | トラックバック

トラバってくれてありがとう!?

ブログというスタイルで、象徴的なシステムが、トラックバック。

しかしながら、どうやって、実際にトラバるのか、実際に試すことができない。 こうやって、気軽に(お互いに)トラバができて、感謝。
Ankhで泡盛を一杯!

投稿者 tokyobear : 00:54 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月27日

秘宝

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 昨日、沖縄から帰った。台風とともにである。30分ほど遅れたが、態勢に影響なし。台風は、九州・四国に近づいている。前の台風でも被害が大きかった地域だが、今度のはもっと不安。
 昨日、帰京する前に時間があったので、展覧会をみてきた。

 「帰ってきた琉球王朝の秘宝展」、こう書くとさも、自分の興味で訪れたの如く見えるが、実は、ある方から誘われて、ついて行ったのである。
 小さな展覧会だが、内容は充実していた。「帰ってきた」とは、中国からの帰還である。北京の故宮博物院に眠っていた、琉球王朝が中国に献上した品々である。

 那覇市歴史資料室のHPから引用すると
沖縄は、かつて独自の国家である琉球王国を成立させていました。琉球王国は1372年中国明朝の冊封体制下の朝貢国となりました。この関係は1875年の尚泰王の時まで、およそ500年間続き、アジアの貿易国家として大きく発展を遂げました。この間、琉球からは2年に1度の進貢を基本として、琉球国王が冊封をうけた際にお礼の謝恩使、中国皇帝の即位の際にはお祝いの慶賀使を派遣しました。

進貢使は馬や硫黄などを進貢品として献上しましたが、謝恩や慶賀の際には、特別誂えの品々を皇帝に献上しました。これら献上品については、外交文書の『歴代宝案』の記録はあるものの、現物は全く確認されていませんでした。

このたび、北京の故宮博物院の多大なご協力で、かつての紫禁城である同院に琉球から献上した最高級の螺鈿漆器や銀器、紅型、刀剣また中国側が記録した琉球関係資料が存在することが明らかになりました。

本展では、北京故宮博物院所蔵の琉球関係文物72点を展示します。琉球の先人たちの工芸技術のすばらしさを実感し、あわせて琉球と中国の長い交流の歴史を考える機会となれば幸いです。
(URL:http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/event/hihouten.htm)

とういものである。 当時の中国・琉球・日本、そのほかの国々について、認識を新たにさせられる。琉球王朝の対中国政策は、中々巧妙で、対、日本においての影響も充分考慮されて、外交していたことがわかる。

 漆器、織物、武具、書物などが展示されているが、漆器の緻密さ、いままで、見たこともないような柄の紅型。 かなり、マニアックだが、今回の展示が終わり、北京に帰ると、次はいつ見られるかわからないので、興味のある方は出かけられることを勧める。

 今回の展示で、「五本爪の龍」が描かれている漆器が何点か展示されていた。阿佐ヶ谷あんくのボトルに貼る名前シール、ようじさんが、何処かの紙幣に描かれている五本爪の龍をモチーフに作ったとおもうが、改めて、ようじさんの興味の持ち方に、また、脱帽。

展覧会概要
 期間、2004年8月20日から9月30日 場所、那覇市パレットくもじ6階、那覇市民ギャラリー
 主催、那覇市ほか 入場料、1200円

投稿者 tokyobear : 22:47 | コメント (1) | トラックバック

2004年08月24日

台風到来

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また沖縄にきてる。今年は台風の当たり年。

毎回台風との戦い。今日の台風は沖縄本島はからそれたが、先島諸島では、被害甚大。
アップした写真は、地元新聞の夕刊の天気予報欄。晴れ、雨、くもり、雪の天気アイコンは見たことがあるが、台風のアイコンを見たのは今回がはじめて。モバイルモードのため簡単で失礼。

投稿者 tokyobear : 18:40 | コメント (1) | トラックバック

2004年08月22日

花火でフィナーレ

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何だかんだと言いつつも、結局は、レインボー祭りに出かけた。人出はいつもの年より、やや鈍いような気がした。パレードが無いせいか。

 ついたのが8時、真っ最中である。中通りルミエールの前あたりに、イベントのスペースがあった。よって、そこは人だかりができている。時には通行ができない。人をすり抜けることも、ままならない状態。ガードマンを配置しているが、焼け石に水。彼がいてもいなくても、通行ができなかった。
s-aisaa.jpg例の、「東京エーサーシンカ」を拝見した。女性を含んだ編成で、見た目は、ゲイ&レズビアンには見えなかった。 これも、人だかりで、ほとんど見えず、ただ、ラウドスピーカーから、三線の音が、増幅されて聞こえていた。これも生で演奏していた。当たり前か。
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 ピーク時には、人が溢れていた。知り合いもたくさんいた。久しぶりの人も、何処かであったようなひとも、しばらく行っていないバーのママも。 この手のイベントとしては、ちょっと、年齢層が高かったかな、と思う、直感的に30プラスαくらいか。 ストレートと思われる女性も、多く感じた。彼女らはほとんどが20歳代に見えた。
 ついこの前も書いたが、この手の催し、一人300円くらい徴収したら、と思う。ゲートで、300円払った人は、手にスタンプ、再入場を可にして。 今回は、設営やあとかたずけに、有償ボランティアを使ったみたいだが、これまた、2丁目振興会が全部、払うのだろうか。 会場整理費として、300円くらい、みんな払えるでしょ。
 少なくとも、私の感じた限りは、大きなトラブルもなく、9時に花火で終了。9時30分過ぎには、クルマの通行止めも解除になったと思う。 振興会の福島さん、お疲れ様。

投稿者 tokyobear : 22:36 | コメント (0) | トラックバック

オキナワ・ブログ

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 ブログを初めて2ヶ月。このごろ、なにかで調べ物をしようとして”ぐぐる”と、ブログに当たることが多くなった。

 今日の午後のお気に入りは http://okinawa.seesaa.net の「ディープ_コザ_発・沖縄ブログ」。ナイチャー(本土の人)が沖縄・コザ(現・沖縄市)に移住して、その雑感をブログにしている。 沖縄は大好きなところで、何度も訪れているが、私は、移住したくても、現実的にはできない。 
 何人もの移住者をみて、沖縄に住んでいる、<成功した>ナイチャーからの視点は、興味津々である。
年に2500人の人が移住して、2300人の人が帰っていく現実。 労働基準法って何?の世界の沖縄の労働事情。週に日曜だけの休みが当然、バイトは時給500円など、現実的な内容もおもしろい。 このブログには、沖縄関連のブログがリンクされているので、芋ずる式に、楽しめそうである。

投稿者 tokyobear : 18:22 | コメント (2) | トラックバック

航空会社のサービスって何が基準?

はやり、これは書かねばなるまい。私は88年に初めて、アメリカの地を踏み、その後、ずーっと、アメリカ通いを続けている。80年代、90年代初めまでは、一番航空券が安い会社を選ぶのが当然だった。

 よって、アメリカに限っても、大韓航空、シンガポール航空、デルタ航空など、そのつど会社が変わっていた。しかし、アメリカン航空が始めたマイレージサービスにより、ひとつの航空会社に乗ることが、結局お得、ということになった。 当時、加入したのが、ノースウエスト航空。単に、航空券の実勢価格が、一番安かったからである。加入したのが91年。98年ユナイテッド航空に乗り換えるまで、なんと40万マイルも飛んでしまった。当時は、7万マイルで、ビジネスクラスで北米を往復できたし、シーズンを外すので、比較的予約を入れやすかった。8年も乗ったところで、やや飽きがきて、友人が勤めているユナイテッドに乗り換えた。友人が勤めていると何かと便利、と、やや、不純な動機ではあるが、現実には、予約の変更などで、世話になっている。
 よく、アメリカ系の航空会社のサービスが悪い、という輩がいるが、約100回ほど、米系で太平洋を横断したが、そう思ったことは1度もない。何かしてほしければ、そのことを言えば、だいたいやってくれる。そもそも、エコノミー、下手すれば沖縄への往復航空運賃よりも安くアメリカへ、飛んでいることを考えると、たいがいのことは平気になる。Yクラスの食事は、最初から当てにしていない。でも、吐き出しそうにまずかったモノはなかった。これも、いまでは、日本発の便では、コンビニ弁当かおにぎりを持参している。お酒はタダ。でもYクラスは、太平洋横断でもミールサービスのときしか、カートでは回ってこない。つまり、離陸して1時間後と、着陸1時間30分前。欲しければリクエストすれば、そのうち持ってくる、すぐ欲しければ、ギャレーに行けばくれる。でも私は、アルコールを飲む場合でもこの2回分で充分。水分は欲しいときに欲しいので、ペットボトルでミネラル水を最低500CC一本は、空港で買って持ち込む。これだけ乗っていると、食事の内容、サービスの順番からいつトイレが混むのかまで、わかってしまっているのである。だから、特別な事情が起きない限り、一般のサービスで充分なのである。このごろ、非常口の前に座ることがよくある。全日空では、FA(フライトアテンダント)が、しゃべりかけてくることは滅多にないが、米系では、ほぼ全員がしゃべりかけてくる。FAA(連邦航空局)のお達しで、非常口前の座席は、非常の際、乗務員の援護をしなければならないので、それができない、傷害を持った人、高齢者、子供、それに、乗務員とのコミュニケーションのため、米系では、英語がしゃべれない人も着席不可となる。それをチェックしている部分もあるだろうが、それとは関係がないように思えるくらい、何かと話しかけてくる。この前も、着陸寸前、オバチャンFAとしゃべっていたら、話が長くなり、そのまま、タッチダウンとなったことがあった。
何をもって、サービスというのか、私は少しわからなくなっている。日系の航空会社は、細やかなサービスという。確かに、米系ではむやみに微笑んでることは、絶対に、ない。米系では、ちょっとしたことで、謝ったり、「申し訳ありません」、と、言うことは、絶対に、ない。米系は、お客様の「お気持ちを察して」サービスをすることは、絶対に、ない。のである。これらをどうとらえるかで、評価に大きな差が出る。 
 もし英語ができないかシャイな日本人は日系を選んだ方が、無難な気がする。 英語が、少ししゃべれるあるいは、無理矢理にでも通じさせる事を会得している人は、全然、米系でも問題ないし、かまってくれない分、楽なのである。
 ハワイ行きの日系航空会社では、乗客のほぼ全員が日本人。それに、団体旅行となれば、機内は、社員旅行のバス車内か居酒屋状態と聞く。アルコール無料と言えば、いくらでもおかわりOKと思っている。あー、そんな便には、絶対乗りたくない。 それでも、FA達は微笑んで、ビールをはこんでいるのだろうか? 際限なく、アルコールをサービスすることが、良いサービスなのだろうか?? 
 グローバルスタンダード、なる言葉があり、世界基準とでも訳されている。 グローバルはスタンダードはアメリカンスタンダードでは無いことは確か。 しかし、日本人は、もうすこし、外に目をやって、日本を考え直す時期じゃないのかな。 あの、嫌なアメリカだって、親が子どもへの躾は日本より100倍きびしいもの。

投稿者 tokyobear : 17:43 | コメント (0) | トラックバック

本日本番-東京レインボー祭り

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 今日はレインボー祭り本番。天気予報では晴れのち曇りで夜の降水確率30%。降らなければいいけど。 
(探しにくいレインボー祭りのURLは http://www.gclick.jp/2cho/)

  昨日は、たまった疲れのため早くから就寝。今朝8時過ぎに起床という、いたって健康的な生活。よって、昨晩のAktaには登場せず。調査員の報告によると、開場時には30人の観客。だぶん終演時には満員になったであろう。寄付はちゃんと集まっただろうか?多少えげつない方法かもしれないが、キリスト教会の献金方式のように、座っている人に、献金(寄付)箱を次々に渡してもらって(膝の上を通過してもらって)、精神的に<多少>プレッシャーを与えて集めた方がいいとおもう。寄付金の使い途を説明して、入れる入れない、金額は自由と最初から断っておいて。今回もフライヤーには<無料>とうたってあった。こう書かないと人が来ないのは解るが、寄付歓迎とかドネーションをお待ちします。などと書けば、それなりにあつまるとおもう。
今日は東京レインボー祭り本番。沢山の人が繰り出すだろう。探しにくいHPでみると、今年のパフォーマー達も、ドゥラッグ、インディーズバンドにまじり、エイサーがある。1回目の祭りに某店で、ウチナンチュと飲んでいたら、エイサーの声が聞こえ、彼は飛んで外に見に行った。そのグループと今年は同一かは知らないけど、今年の団体は「東京エイサーシンカ」、中野サンプラザの前で、毎週日曜午後練習しているそうな。この会の公式HPが無いので、詳細は不明だが、中野区の商店街のHPによると

東京エイサーシンカ
10年以上前から中野北口広場を練習場として活動をしてきたグループで、エイサーをこよなく愛し、若いメンバーで新しいエイサーを創りだそうと試みています。中野北口昭和新道商店街で、沖縄出身の沖縄料理“あしなびー”を経営する金城さんから型を教わっています。沖縄出身者だけでなく大和人(ヤマトンチュ)も多数参加しており、社会人・学生と様々な層の人で形成された元気いっぱいの集団です。今後は,中野という地域をもまきこんで、東京の『中野にしかないエイサー』を創造していくことを目標に日々練習をしています。【これまでの主な活動】琉球古武術演武大会/ちばりょーなかの/新井薬師盆踊り/中野鍋屋横町夏祭り/横浜寿町夏祭り/町田フェスタ/アシバ祭/アシビアフタヌーン/チャランケ祭など
s-eisa.jpg(写真はイメージ、www.koza.ne.jp からの引用)
とある。ゲイのゲの字もないのである。2丁目振興会の繋がりで、友情出演しているのか、はたまた、本当はゲイの団体なのか、謎である。もし、ストレートの方の団体ならば、出演の決断には敬意をはらいたい。
 しかしながら、見物する方とすれば、このエイサーの団体は、ゲイなんだな、と、思う方が自然。私も、いまでもそう思っている。
 
同団体をぐぐると、「演者たちの「共同体」―東京エイサーシンカをめぐる民族誌的説明 小林 香代 (著)」とういう難しい、8190円もする本の紹介が検索される。さらに内容は「沖縄の盆踊り「エイサー」を、東京で演じている集団「東京エイサーシンカ」。東京のエイサーを成立させるという目標の元に活動する彼らをひとつの文化的集団とみなし、民族誌的なデータ収集方法によって記述・説明する。」となにやら、奥がありそうな内容。 
やはり、2丁目はディープな世界がひろがっている。


投稿者 tokyobear : 08:47 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月20日

東京のパレード

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 昨日、これまた、大変お世話になっているジープロジェクトさんから、最新号のジーメンが届いた。

 写真は、同封されていた、暑中見舞。 ジーメン最新号に、パレード中止のいきさつについて、永易さんが詳しくかかれている。 この前も永易さんとaktaで会う機会があり、彼のサンフランシスコ報告会の後に少し皆で話したのだが、パレードそのものの、認識が、みんな違うのである。 日本のゲイ・リブ信奉家の方々は、「この旗の下に集まり、我々の権利を・・・云々」とやるが、参加者の、多分9割は、「なんとなく」、「誰かが誘ったから」、「楽しそうだから」と、ぶらさがり的参加、と、一部の「見せたがり」屋。
 こんな状態だから、まとまり無くなるのは当然。その上「誰かがやってくれる」という発想だから、誰かがやるのをずーっと待つ。待ってて、誰もやらなければ、それでよし。何も言わない。
 経済的にもそうだ。世の中何かをやるにはカネがかかるのは当然。パレードもしかりである。でも、参加者の多くは、多分、「ゲイ雑誌やショップかバーあたりから寄付でやってるんじゃない」と思っている。確かに寄付はある、しかし、全部を賄えるだけの金額が集まる訳がない。パレードに参加して、気持ちよければ、それに似合う、対価を支払うのは、当然とおもうけれど、これも、水と空気のようにタダとおもっている。 これも、参加者の意識不足。
 これでは、パレードの責任者になった人はババをひいたものと同じ、今年のパレードがつぶれたのも、ある意味賢い選択ともいえる。
 理想論を考えて、その後、現実論を考えてみる。東京のゲイ(コミュニティ)は、しばらくは、変わらんとおもう。強力なカリスマ的指導者でも出現しない限り、いままで通り、ゆるーい、ぬるま湯的世界が続く。
誰かがまたパレードという「ババ」を引いて現実となっても、それが、参加者、見物者ともに、「仮装行列」の域を脱せ無いこととなるだろう。

投稿者 tokyobear : 17:31 | コメント (0) | トラックバック

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投稿者 tokyobear : 14:49 | コメント (0)

30年前の深夜

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 私の思春期はご多分に漏れず、深夜放送に入り浸り。自他とも認めるAM放送ファンなので、TBSを基本に、文化放送、ニッポン放送、RFラジオ関東に遊びに行くという感覚。

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 当時入り浸っていたTBSラジオ。夜11時艶っぽい声で聴取者を魅了した竹谷英子。
その後は、お決まりのパックインミュージック。火曜、小島一慶の「マッドマッドくらぶ」、水曜愛川欽也、H系。当時愛川の友人が飛び入りで参加していた。よく出ていたのは永六輔、長谷川きよし、黒柳徹子、など。時に3時をこえ滝良子(そらまめ)の番組にはみ出すこともあった。小室は馴染めず。金曜、野沢那智・白石冬美は定番。「お題拝借」の野沢と白石の絡みは絶妙だった。後にこの番組が終了する時、リスナーがデモ行進したことは、ラジオ史上初だとおもう。土曜、山本コータロー「恥のうわぬり」コーナー。やっぱりH系。この時代、主なリスナーが高校生だったからか、エッチが無いと流行らなかった。ニッポン放送の鶴光がその見本。
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当時、文化放送はあまり興味が無かった。旺文社の大学受験講座を聴いていた人は、そのまま「セイ!ヤング」に突入した人が多いのではないか。
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地味なラジオ関東(現ラジオニッポン)。このなかでも、「男たちの夜かな!?」には随分付き合った。広川太一郎ショーという位置づけで、最終期、スポンサーが無くなった頃、私財を使って番組を続けたとのこと。スポンサーの関係か、番組スタート当初はカントリー&ウエスタン主体、半ばに、渡辺靖彰が入った頃は、モータースポーツ風味、そして終期には、広川応援のややヲタク番組になった。
 この番組、RFで関東ローカルなので聴取者が少ない。リクエストの電話もすぐにつながった。電話で、番組に参加して、マリーオリギンに占ってもらったこともある。
番組主催のリスナーの集いにも参加した。森林公園のピクニックや、渋谷の公開録音など。今では著作権で考えられないのだが、公開録音の状況を、持参のテレコで録音したこともあった。
 30年前、ほとんどの夜をAMラジオとともに過ごしていた。

追伸)熱烈ファンの多かった「男たち・・・」の関連サイトがあった。
http://webmania.jp/~otokotachi/index.html
追伸2) 上のアップした番組表は、当時、直接各局から送っていただいた、オリジナル。当時の番組表は、北はHBC、南はRBCまで、とっても10数局だが、現在も保存してある。

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2004年08月18日

関西ローカル

 テレビ大阪制作「きらきらアフロ」、とてつもない関西的お笑い「松竹」番組。

 笑福亭鶴瓶とオセロの松嶋の二人で、大阪弁でしゃべり倒す番組。私は基本的に、テレビは見ない、と公言している。が、この番組を知ってからは、はまってしまった。釣瓶の体に染みこんだ間合いと、松嶋の機関銃のようなトークが、見事に絡み合っている。 この手の番組は、多分関西でも、キワモノ扱いだと思うが、東京でもテレビ東京が平日深夜枠ではあるが、放送を開始した。 存分に大阪弁が堪能できる。・・・・一般的に東京人は関西弁を嫌うことが多いが、この番組は大丈夫だろうか?

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2004年08月17日

ぐぐる、と・・・・

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 このごろ、比較的若い方は、グーグルで検索する事を「ぐぐる」というそうな。このブログも、なんと「ぐぐる」と、検索結果にでてくる。

 グーグルも細かい芸当をやっていて、今日のトップページは、アップしたとおり、希臘五輪の結果をロゴにしている。検索エンジンは、GooやYahooやインフォシークなどあるが、このごろ100%ぐぐっている。
 この検索エンジン、意外なものもひろってくる。 たとえば、自分なり友人なりの本名をぐぐると、意外とひっかかる。たいがいは同姓同名のものが多いが、時として、えっ、という検索結果がでることもある。
 私は、ネットの上では、メールにおいても、絶対に本名を出さないようにしている。ぐぐって、本名で出てくる事が、直感的に嫌だからである。それでも、同姓同名に、アマチュアスポーツの有名人がいる。
 私のハンドルネームはLonestarを使っている。これは、10年前、業界紙に記事を書いていた頃、必要に迫られて付けた名前。 自分のお気に入りのバーの名前。今でもいっている。本来の意味は「テキサス」あるいは「テキサス州」。このブログと同じ(そちらは ’sがないが)名前があり、混同されないかとちと不安。「Lonestar、Blog」でぐぐると、そちらがでる。
 投稿者のtokyobearはもちろんLonestar本人。このモバブルタイプのIDがLonestarが取れなかったので、セカンドチョイス。
 ちなみにTokyobearでぐぐると、このページを案内される。

Google-Japan

投稿者 tokyobear : 12:37 | コメント (0)

亜細亜的昼食

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 ここ数年タイレストランにはまっている。タイ本国では安いはずなのに、日本国に来ると本国の10倍以上の値段が付くのはなぜだろう。

 たいがいのレストランは、ディナーは一人様安くて2,3千円飲み物をつけると2人でいって、1万円札でおつりが少し。高すぎる! と言うことで私のような、「超」庶民は当然ランチに行くことになる。この盆休みに我がパートナーが上京していたので新規開拓。中野坂上駅から5分くらいの店。ランチ860円、食べ放題。料理の種類は少ないものの、トムヤムクンスープは上等。満足。 
 実踏調査の結果、東京でのタイ料理は、ランチはここと、高田馬場のカオタイ。カオタイのランチバイキングは土日だけになってしまった。千円。どうしても夜食べたければ、やはり、高田馬場ティヌーン。「トムヤムクンラーメン」発祥の店とあって、さすがにはまる。そのほかも千円札1枚で、一応満足できる。同じ名前の店が都内あちこちにあるが、フランチャイズが多い。味の基本は本店と同じだが、微妙に違う。阿佐ヶ谷にもあるが、何となく違う。

投稿者 tokyobear : 12:09 | コメント (0)

なじめないもの

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帝都高速度交通営団、通称営団地下鉄から東京メトロKKに変わって、半年。Sのマークからこのマークに変わった。

 なんたるデザイン?同社HPには「ハートを模したM(「ハートM」)は、メトロ(Metro フランス語で「地下鉄」の意)のほか、東京の中心にあるという存在感やお客様の心に響くサービス、心のこもったサービスを提供し続けるという意志を表します。背景色にはコーポレートカラーである「ブライトブルー」を採用。活き活きとした元気なイメージで、新会社の理念「東京を走らせる力」を表現しています」とあるが、何とも下品なデザイン。
東京メトロ

投稿者 tokyobear : 11:40 | コメント (0)

2004年08月16日

このごろ多いと感じませんか?

s-99.jpg
 近頃、街を歩いていて、この「99SHOP」多いと感じませんか? HPで引いたら、全国に400店舗をもつそうな。

 実は、私の住まいから徒歩3分くらいのところに、昨年この店が開店。以来はまっています。いままでの100円ショップは、雑貨中心だが、99SHOPは、食品中心。  大概のものはここで間に合ってしまうからスゴイ。 よほど特殊な種類の食品以外は、このところ、ここで買っている。ただ、全部が全部99円でないところが、悩みか。 近くの店では、酒も扱い、なぜか、残波(黒)など3種類の泡盛もおいてある。もちろん99円でないが、値段は安め。

SHOP99

投稿者 tokyobear : 22:23 | コメント (0)

キーボード

s-lite_ang_m.jpg
 いったい今まで、いくつのキーボードを使ってきたのだろう。

 コンピューターを使っていて、一番大事なインターフェースは、モニタとキーボード。モニタはこのごろ、LCD(液晶)がほとんど、15インチが標準、17インチが、ちょっとリッチなお方、19インチがかなりリッチな方、という棲み分け。それでも、10万円もだせば、かなり上等のが手に入る。歳がバレるが、NECの8001や8801、初代9801からPCに大枚をはたいてる身にとっては、とてつもなく今のモニタは安い。
 それでも、変わっていないのが、キーボード。 なんで?という言葉がいくつも浮かぶ。 なんで、既製のメーカー製PCの添付キーボードって、あんなに、キータッチが良くないの? なんで、テンキーをつけるの? なんで、目障りな、日本語を、併記するの? ほとんど、ローマ字変換じゃない。 大手量販店に行けばノーブランドのキーボードは980円くらいからある。しかし、私は、この5年間、PFUのハッピーハッキングキーボード・ライトを使っている。 上記の?がほとんど解消できる。 このキーボード、本家のハッピーハッキングキーボードは本来UNIXユーザー向けで、価格も2.5万円程度する。最近は、受注生産でキーボードに刻印がないモデルもあるそうな。ライトは、6千円程度。

PFU

投稿者 tokyobear : 20:54 | コメント (0)

2004年08月11日

暑さ連続記録

天気予報では、戦後(これもとても古い使い方ですね)一番暑い夏になるとか。

 都市化、ヒートアイランド現象、地球温暖化・・・・理由はいろいろと考えるが、とにかく、暑さの「質」が昔、とは全然違う。 たとえ同じ32度でも、昔は「自然な暑さ」今は「人工的な暑さ」と感じる。
 毎度、沖縄を持ってきて恐縮だが、沖縄の同じ温度と、東京の温度とは、まるきり違う。 どうにもならないだろうが、どうにかしてほしい。
 今日、沖縄AnkhのBlogからトラックバックが、あった。東京で沖縄人が、沖縄で東京人がお店を開いている。ある意味、どちらもディープな店だが、居心地の良さは、どちらもピカイチ。意志強固に持っていないと、ついついディープな時間帯までいることとなる。

投稿者 tokyobear : 12:43 | コメント (1)

2004年08月08日

ひとまず完成

lonestarsblog.gif
昨日からこのブログを整備していたが

 やっと、完成した。結局、HTMLをいじらなければならないなど、まだ、自前サーバーでのブログ設置は、敷居が高い。各種テンプレートも見てはみたが、満足できるものは無かった。
一般人は、いまのところ、ライブドアの無料のブログなどしか使えない。これも、広告と、プライバシーとセキュリティはちと不安。
 さて、完成したものの、このブログどのような方向に向かうのか、わからない。

投稿者 tokyobear : 21:23 | コメント (0)

Blog&トラックバック

 最近のウェブの流行はやっぱり、Blogなんでしょうかね? 私も、新しい物好きで、Blogを始めましたが、トラックバックなるもの、どのくらい効果ががあるものか?
 

永易さんは去年、「にじ」を読んで、すぐに会って、話をしてみたいと思った方です。 そんな我が儘な要求に、初めて会ったにもかかわらず、5時間近く話し込んでしまった。
 最近は、先週8月4日、新宿aktaで、彼主催の勉強会みたいのがあって、参加。「若者」対象とあり、私は当然対象外だが、強行参加。20代はじめの若者の声など、聞く機会がいままでになかったので、とても新鮮に思えた。 永易さんはコツコツと地道に、まじめにコミュニティ&エイジングを研究をされている。
にじ書房のBLOG

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公開?更改?後悔?

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せっかくBlogを作ったのだから・・・とおもい、今日、大変お世話になっているAnkhさん

のBlogへ、トラックバックを使ってみた。これで、業界上位の視聴率を誇る、AnkhさんのBlogサイトとつながったことになり、本当の意味で公開したことになる。Blogは今までのネット上の日記から、横のつながりを重視したシステムだから、こうやって、繋がってナンボだとおもう。が、不特定多数(特定少数だともうが)HPを見ることによって、内容も精査しなければ無くなる。特にゲイ関係の話題が多いので、個人名とかお店の名前など、どの程度まで出して良いのか、やや迷う。これが後悔。やはり、公開したのだら、続けなければ、ミットモナイ。でも飽きやすい性格、いつまで更改できるか、チト不安。

投稿者 tokyobear : 14:11 | コメント (2) | トラックバック

2004年08月07日

自転車

 16歳から26年間、ずーっと、オートバイがあった。

最初は50CC。それでも、自転車では考えられないくらい行動半径が広がった。それから、250,125,225,400,110CCとバイクは変わっていった。車を手にしてからは、バイクはもっぱら通勤の足としてだけ、使っていた。それも18年。なんでだかわからないが、職場がバイク通勤を禁止した、突然に。しばらく考えていたが、やっぱり手放すことにした。 昔から、売るのが下手で、今回も、「バイク王」に買いたたかれた。バイクが無くなった。これも、一つのくぎりかなぁ。
 そのあと、仕方がないので、冬眠状態だったマウンテンバイクを整備した。錆だらけ。しょうがないよね、5年以上ほっといたんだから。 なんとか、乗れる状態まで復活。 
 インターネットで我がマウンテンバイクのサイトを見たら、一番高いのは、なんと、733950円だと。うちの新車の自動車よりも高いとは!

投稿者 tokyobear : 22:09 | コメント (1)

DDRDIMM3200nonECC

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このごろ、何かとトホホな状態・・・・

週刊アスキーにずっと前から連載されている「トホホ・・・」って本当に、自分にあてはまることがおおいみたい。特にPC関連は。
 写真は現在使用しているメインのPC。このPC、少しばかり気張ってP4なんてものを乗っけているのです。 2日まえ、何の気なしに、ASUSのサイトを見ていたら、「デュアルチャンネル」なる仕様があって、これはDDR3200のメモリを、全く同じもの2枚差したとき、適用される、とのこと。いままでは、前のPCのメモリの使い回し。これを見て、また、秋葉原を徘徊し、福沢諭吉さまが飛んでゆくことになったのです。

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2004年08月05日

新原ビーチ

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毎日、この前の沖縄の話題を書いています。

 先日、那覇に行ったときに、Cho's Barの前川さんに大変お世話になり、初めて、沖縄本島南部に行った。 ゲイビーチとして有名な新原ビーチ(前川さんは、新原ビーチではなく、百名ビーチと仰っていたがあえて)にいった。時間が早かったとはいえ、人影はまばら。それでも、全裸の人もいた。
 最近このビーチの事が話題になっている。 阿佐ヶ谷のバー`の常連J氏は、業界雑誌の編集者。先日も、このビーチ付近に住んでいる方から、メールが届いたとのこと。 林の中のゴミ、それもコンドームやラッシュの瓶。何とかしてくれ!っておもうけど、その思いのもって行き場がなく、しょうがなく、業界雑誌にメールを書いたとのこと。 別にゲイに限ったことではないとは思うど、日本人のモラルはどこへ行った?
 その中で、ビーチでゴミを拾う前川さんには脱帽。

投稿者 tokyobear : 20:07 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月02日

通堂

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このごろはまっています。

 那覇の居酒屋「りょう次」グループの各店にはまっている。 このグループの各店に共通したものを感じる。それは、従業員が生き生きと働いていること。なぜ?ある店の店長と話す機会があったので、聞いてみた、「何で、りょう次グループの人は生き生きしてるの?」「なにか新興宗教??」と、まで聞いてみた。店長曰く「さあ?マニュアルはないし、大将(社長)の性格では」と答えが返ってきた。
 那覇にいると、昼は小禄でラーメン、夜は、泉崎か久茂地か首里で飲むことが多い。毎日ではないけど。

投稿者 tokyobear : 19:54 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月01日

首里の庭

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 首里城の麓、芸術大学の前にある、食堂兼居酒屋。

 毎度お世話になっている、あしびうなぁ。 先日いったときは、たまたま、お庭の手入れの日で、砂利を小型ダンプ1台分くらい、撒いていた。 一輪車がはいらないので、人力。 か細い店長の腕で、何度も、バケツで砂利を運んでいる。「手伝ぅょ!」と思わず声が出た。でも、やはり、客の身分。そのまま、見物していてください、とのこと。
 結局、13時頃そばを食べにいったのに、なぜか途中、オリオン生を3杯飲んで、那覇に帰ったのが、18時。

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