Diary: 2007年9月アーカイブ
毎日新聞が、独自に追いかけているニュースがある。 向精神薬「リタリン」問題である。
リタリンという薬剤は、当然医師が処方しなければ入手できない薬であり、麻薬及び向精神薬取締法上の第1種向精神薬に唯一指定されている薬剤である。 処方目的は
ナルコレプシー
抗うつ薬で効果の不十分な下記疾患に対する抗うつ薬との併用
難治性うつ病、遷延性うつ病
だけでありるが、ADHD(注意欠陥・多動性障害)にも応用され、欧米では積極的に使用されている。
では、なぜこの薬が問題になるのかというと、服用すると、多幸感、覚醒感を実感できること=(合法)覚醒剤ということであり、長期にわたり服用すると、いわゆる「リタリン依存」に陥ることになる。
依存症(いそんしょう、いぞんしょう)とは、精神に作用する化学物質の摂取や、ある種の快感や高揚感を伴う特定の行為を繰り返し行った結果、それらの刺激なしにはいられなくなった状態のことである。
今日の毎日新聞には、この問題について、東京新宿にある「東京クリニック」を名をあげて報道している。 このクリニックは、過去にリタリンの処方について厚労省から10回の警告を受けながら、改善がみられず、安易にリタリンを処方しているという内容である。
ここに、現在精神科医療の問題点のひとつがある。 世の中が成果主義にはしり、それに必死でついて行こうと無理をして心の病を発症する。 あるいは、過去には「精神科」病院にいくと言うことは、敷居が高かった。 現在は「心療内科」という比較的、心理的に敷居の低い医療機関も増えてきた。
では、実際の外来の精神科医療の実態はどうなのであろうか。 精神科の診断は、担当医との「問診」で診断をつける科であり、内科のようにCTや脳波や血液ををとって診断をするものではない。 友人の精神科医は初診には30~40分の時間をかけると話していた。 しかし、そのように時間を割いてくれるドクターは少なく、また、現在の医療保険制度において、時間あたりにある程度の再診の患者を診なければ採算がとれないという現実もある。
外来で診られる程度の精神疾患ならば、薬剤で治療するのが基本であり、医師は、個々の患者に適した薬剤を処方することが、精神科医師の重要な役割なのである。 しかしながら、その処方もドクターの質の差が非常に激しく、「きれいな処方」を心がけている医師は少ないのではないかと感じる。 患者から、愁訴があれば、それの対応薬を次々に足していくという処方である。 「眠れない」といえば、次々に睡眠薬を処方し、不安感があるといえば、抗不安薬を出す。 効かなかったといわれれば、次々に薬剤を変え、または増やしていく。 そのような医療現場において、リタリンが欲しいために、ナルコレプシーを演じる患者には簡単に処方してしまう。 さすがに、リタリンだけは多くの精神科医が注意をもって処方しているようだが、件のクリニックは簡単に処方していたそうだ。
うつやパニック障害などを持った人が、気楽に精神科を訪れるようになったことはとても良いことだと思う。 しかし現在の医療は、増え続ける患者に対応できていないのが現実なのであろう。
(一部Wikibediaから引用)
毎日インタラクティブ
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070918k0000e040071000c.html
ろうの方のコミュニティは非常に強固だと感じる。 国や民族と並ぶほど強固な連帯を持っている。私も、手話を習い始めて3年が過ぎ、手話技術そのものよりも、ろう者の独特なコミュニティを学んだようだ。
まず、日本一般の聴者の方々はろうの方々は、手話で話されていると思われる方が多いと思う。 しかし、文部省~文科省は、聴覚障害者の教育は、一貫して、聴覚口話法(補聴器の装着と読唇、発声指導などにより、健聴者と同様の音声による会話の習得をめざすもの。)を採用してきた。 つまり、手話は学校では教えられず、先輩などから習い、学校では隠れて使っていた。 見つかると「私は手真似をしました」という紙を首からつるされた事例もあったそうだ。
そのような、ろう教育のなか、手話を習得出来た人は思いの外少ないのが現実である。
しかしながら、日本のろう者は、日本語をベースとしながらも独特の言語「日本手話」を手にれた。 これを体系的にしたのはDプロなどつい最近の団体である。 「日本手話」は言語であって、「英語」や「ドイツ語」と並ぶものである。 ただし、表現に音声を使わないだけである。 文法、表現方法も「日本語」とは異なる。
中途失聴者などは、この「日本手話」を取得するのは難しい。 すでに頭の中は「日本語」が入っているからだ。 このため、日本語を、手話表現に直訳したようなものが「日本語対応手話」である。 これは、そのまま、日本語の文章を手話に置き換えたもので、ろう者には意味は通じるが生きた言語ではない。
今朝の毎日新聞に、東京都がバイリンガルろう教育特区を認可したと報じている。 これは、いままでの聴覚口話法のろう教育からの脱却で、手話を主体に教育がなされる。 統合で利用されなくなった小学校をNPOが借り受け学校法人をつくり、運営するものである。
その運営主体である龍の子学園のHPによると、バイリンガル・バイカルチュラル教育を実践していくと謳っている。
ろう文化
ろう文化を学び、ろう者としてのアイデンティティを確立。
ろう者である自分に自身を持つ
日本手話
ろう者の第一言語
自分で考え、創造し、自分を表現できる言語
バイカルチュラル 聴文化とろう文化
バイリンガル 日本語と日本手話
ということになる。
ろう教育にやっと新風が吹き始めたのかもしれない。
まず、日本一般の聴者の方々はろうの方々は、手話で話されていると思われる方が多いと思う。 しかし、文部省~文科省は、聴覚障害者の教育は、一貫して、聴覚口話法(補聴器の装着と読唇、発声指導などにより、健聴者と同様の音声による会話の習得をめざすもの。)を採用してきた。 つまり、手話は学校では教えられず、先輩などから習い、学校では隠れて使っていた。 見つかると「私は手真似をしました」という紙を首からつるされた事例もあったそうだ。
そのような、ろう教育のなか、手話を習得出来た人は思いの外少ないのが現実である。
しかしながら、日本のろう者は、日本語をベースとしながらも独特の言語「日本手話」を手にれた。 これを体系的にしたのはDプロなどつい最近の団体である。 「日本手話」は言語であって、「英語」や「ドイツ語」と並ぶものである。 ただし、表現に音声を使わないだけである。 文法、表現方法も「日本語」とは異なる。
中途失聴者などは、この「日本手話」を取得するのは難しい。 すでに頭の中は「日本語」が入っているからだ。 このため、日本語を、手話表現に直訳したようなものが「日本語対応手話」である。 これは、そのまま、日本語の文章を手話に置き換えたもので、ろう者には意味は通じるが生きた言語ではない。
今朝の毎日新聞に、東京都がバイリンガルろう教育特区を認可したと報じている。 これは、いままでの聴覚口話法のろう教育からの脱却で、手話を主体に教育がなされる。 統合で利用されなくなった小学校をNPOが借り受け学校法人をつくり、運営するものである。
その運営主体である龍の子学園のHPによると、バイリンガル・バイカルチュラル教育を実践していくと謳っている。
ろう文化
ろう文化を学び、ろう者としてのアイデンティティを確立。
ろう者である自分に自身を持つ
日本手話
ろう者の第一言語
自分で考え、創造し、自分を表現できる言語
バイカルチュラル 聴文化とろう文化
バイリンガル 日本語と日本手話
ということになる。
ろう教育にやっと新風が吹き始めたのかもしれない。
Yesturday