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2004年11月30日

またまたゲイ&ブログ

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ブログというツールは、とても便利で、有益なツールだと思う。しかしながら、現在の日本のゲイブログは、「日記」の延長上として、執筆されている方が多い。それはそれで大いに結構なのだが、ホームページと何が違うの?と思ってしまう。

「トラックバック」というブログ独自のシステムを積極的に活用しているのは、私の思い当たるところでは「ぼせWeb」の[同性好きかもプロジェクト]しかしらない。 もともとブログはアメリカの若い世代で流行りだしたコミュニケーションツールだ。アメリカ人は「討論」することが好きな国民だ。政治、経済、宗教から家庭内のことまで、友人はもとより、教師、上司、牧師あるいは見知らぬ人とも意見を交わす。この習慣は私は、最初は戸惑った。自分の意見を堂々と言える自信が自分には無かったからだ。私は本格的にディベートをするだけの英語力は持たないが、アメリカ人の友人やその友人達が話している輪に入って、自分が感じていることを伝えたり、意見を聞くことができるようになり、また、それが楽しくなっている。
日本人、私はほとんどの友人がゲイであるが、彼らは、概ね自分の意見を言わない。もちろんそれぞれの人が、それぞれについて考えを持っていることは当然である。しかし、人との摩擦を無意識に避けるのか、滅多に議論を交わすことがない。議論=無駄とも考えているのだろうか。それとも、超個人的なのであろうか。
 私のブログは、かなり挑発的に、大胆に書いているが、友人以外の反応はほとんど無い。トラックバックも当然ない。
私自身感じる事は、10年間で在籍した会員数約400名のゲイのサークル活動を行ってきたが、何をやっても、皆「受け身」であること。積極的に意見を言う人の数はほんの一握りだったこと。意見があって、本人が私に申し出る事は、本当に希であり、大概は、グチとしてバーか匿名のBBSで発散されるということである。それが回り回って自分の耳に届くということ。私たちの会はリブ団体から見れば「お遊びもの」と見下されているが、たぶん、リブ団体も会員構成は大体、私たちの会と似たようなものであろう。彼らは、目的と行動がはっきりしているから、我々よりももっと活動が大変なことは容易に思量される。
このごろ読まないが、アメリカには「アドボケイト」という全く、色気のないゲイ雑誌がある。サンフランシスコの地元のゲイ週刊新聞は2つのパートがあって、一つは堅い内容で、政治、経済、健康、犯罪などゲイの置かれている社会を扱っているに対して、もう一つは、エンターテイメント、セックス記事、パーソナルアドなどと分かれている。
 残念ながら休刊になってしまった永易さんの「にじ」も、日本におけるゲイのクオリティペーパーのようなスタンスで、発刊当時、とても期待したが、ゲイ個人、いや、ゲイの団体でさえ反応が無かったのは、単に編集の出来、不出来の問題ではなく、それ以前に、そのような「堅い」ものへの違和感が強く出たものではないか。
ゲイブログも、似たような状態になりつつある。ミクシィでも同じだが、ルックスのイメージが先行していて、イメージ画像を多用する「(ゲイ)ネットアイドル」のページやサイトの視聴率が上がり、私のブログなど、内容はともかく、視聴率はNHK教育か放送大学のような扱いである。
最初は気にしていた「視聴率」だが、今は気にせず、ブログを自分のスタイルで書いている。また、気に止まった他の方のブログがあれば積極的にトラックバックするつもりでいる。
周りに私と同年代のゲイ、それも<プロ釜>がたくさん居るのに、何で声を出さない!

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ぼせweb:mixi&ブログ雑感と妄想いくつか

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こころの安定

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 私は心に何か引っかかることがあると、それを引きずってしまう。小さな事、他愛ないことでも同じだ。この世の中に生きているのだから、家族や職場や友人間あるいはパートナーとでもストレスを感じることは誰でもある。私はそれを昇華させることが苦手で、すぐに内面に抱えてしまう。

 普通の人は酒でそれを発散させたり、一時的に忘れたりすること事ができる。残念ながら私は、酒が強すぎる。酔わないのだ。テンションが少し上に行くが、決して、酒を物事がわからなくなるまで飲むことは絶対にない。その前に自然にストップがかかるか、気分が悪くなる。ある意味で、酒に酔える人たちを羨ましく思う。
 パートナーとは毎日、話をしている。遠距離なので、実際は会えないが、毎日話していることにより、それほど距離感はない。これは私にとってとても重要なことで、これがなかったら、本当に、心のよりどころが無くなってしまう。
 ゲイの友達関係というのは、思いの外、ストレスになることがある。当事者でなくても、友人達の恋愛感情やその成就の方向、惚気、或いは浮気から別れまで。恋愛感情で無くても、友人間における、理由の有無を問わない憎悪や憎しみ。単に好き嫌いまで。まあ、ゲイバーはそのような話題で充ち満ちている訳で、それが当たり前の世界と頭では理解できるが、実際、そのような友人達を持つと、私は不要な友人の荷物を背負ってしまうことが多々ある。それを背負う事によって、自分にプラスになることは、多分無い。いままで、それに気づかず過ごしていた。お人好しだったかもしれない。また、自分がこれだけ情熱を傾けてやっているんだからと、その、代償を求めていたのかもしれない。世の中、自分の思うとおりに物事が進まないのは常である。それを人生勉強だと思っていた。実際、今思えば、良い体験だった思う。
 40歳を過ぎても惑っている自分がいる。心が落ち着かない自分がいる。

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2004年11月29日

バーゲン

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今日、通販会社のタイムバーゲンが21時からあった。もちろん、人寄せ商品とはいえ、1円で、デジカメ、DVDレコーダー、液晶モニタなど並んでおり、もしかしたら、という淡い期待を持って臨んだ。

 案の定、サイトに繋がらない。タイムアウトする。各商品1~3点しかない。セール開始から30分の時点で諦めた。私は一応、相手のある時は、好意的に見る方である。きっと、誰かこれらの商品を1円で買った人が居ると信じたい。
 にわかに信じられないのが、航空会社のバーゲン予約だ。何年かまえ、どうしても予約が取りたくて、電話をかけた。繋がらない。何時間かけても繋がらない。ネット予約に移行しても同じだ。半日、PCの前で航空会社にアクセスしようと頑張ったがダメだった。これには裏があって、航空会社のお得意様は、事前に予約を受け付けるという。
 新聞の折り込みチラシによくチェーンの家電量販店の広告が入る。ここにも、おとり的な商品が並んでいる。いつものように「各店何点限り」の注釈付きだが。これ目当てに、前日から並ぶ人もいるというが、このほうがフェアである。これまた、前の日に並んで、整理券なんて配ったら、アンフェアじゃないかな。私は並ばないけれど。
 件の今日のバーゲンを行っている通販会社は、つい最近、セールの内容を変えたようではあるが、以前はタイムセール商品の「限定数」より「残りの在庫数」が多かったりして、気になるところではある。これも、ネット商売のひとつのモデルだとは思うが、クレジットカードの決済ができない、イマイチ不透明な送料など、まだまだ改善の余地が大いにある。
 と、書きながら今年は随分通販を利用している。最近買った「ガンダム・ムービー・カメラ」は送料込み、金5980円で、件のタイムセールで購入したもの。

投稿者 tokyobear : 21:57 | コメント (0) | トラックバック

デジカメ遍歴

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私は、デジカメを買うのが下手だ。どうも、ピッタリと愛称が良いカメラと出会わない。何故か何台かのデジカメがあるのだが中途半端なものばかり。

 最初のデジカメは、カシオのQV10。今考えれば、トイカメラであるが、それでも凄い!と思い購入。カメラからPCへの取り込みが遅く、とても面倒であった。(画素数25万、定価は何と65000円!)キャノンパワーショット350、扱いにくい印象で、あっというまに使わなくなってしまった。(35万画素、定価69800円)次は、東芝アレグレットM4、このカメラ、発色が、イマイチ。重く、バッテリーの持ちが最低。(2M画素、59800円)これは、相方と同時に買ったが、両者とも見切りを付けた。次は、オリンパス、カメディアC-2、当時、友人のオリンパスの画像を見たら、その色合いの良さに惚れ込んで購入。バッテリーは単三電池使用がグッド。現在継続使用中。画像クオリティの選択が、電源を切るたびにリセットされるおバカさ。(2M画素、価格不明)その間に、PCカメラとして使用可能なカシオLV-20(35万画素、9000円位)。今年のヨドバシの1万円宝箱に入っていたのが、NHJ製チーズスライス(2M画素、定価1万円位)。つい最近買ったのは、アイオーデータのOEMのガンダムムービーカメラ。(2M画素、5980円で購入)
 まともなカメラが欲しい今日このごろ。

投稿者 tokyobear : 15:53 | コメント (0) | トラックバック

床屋

 前にも書いたが、私は床屋については超保守的である。42歳になるまで、通った床屋は3軒だけ。

  幼い頃から、30歳半ばまでは自宅近くの店だった。毎月一回、何も言わないでも、自動的にできあがった。一時的に、隣の駅近くに住むこととなって、友人の紹介で、ゲイ御用達の床屋へ。そこは、マスターも従業員も、ほとんどの客もゲイである。短髪の技術はピカイチと思っている。
  そこへも、もう、7,8年通っていた。ただし、自宅から往復2時間以上かかって、技術料は4000円である。 近くに例の全国展開している1000円ヘアカットができた。試したところ、それほど悪くない感じがする。基本的には3ミリの坊主なので、ざっとデンキバリカンで刈ってしまうので、あとは、その後の微調整が、価格差となる。 
 2週間前、1000円ヘヤカットで、ハズレに当たった。生まれて初めて、自分のヘアスタイルに満足しないで出てくる経験をした。まぁ1000円だからと自分をなだめた。理容師ではない美容師のかたは、やはり、坊主頭になれていないのだ。
 その1週間後、同じところへ行って、今度は、「頭全体を3ミリのバリカンで刈ってください」と注文した。同じ従業員の方では無かったが、そこそこのできあがりだった。
 バリカンを買ってきて自分でやれば良いと思うのだが、微調整がそれこそ大変。

投稿者 tokyobear : 15:28 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月18日

Gay Blogers & Ageing

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このごろ、ゲイのBlogerの活動が活発である。GBrという便利なサイトもあって、閲覧も楽になっている。アメリカでは、20代のBlogerが中心と聞く、日本のブログ執筆されている方の年齢層も比較的若いのでは無いかと思っている。

  私の年齢は42歳ではあるが、私以上年齢の方が書いたゲイブログを見たことがない。 まぁ、年齢を公開されていない方も多いので、何とも言えないが。
 GBrを使ってブログ巡りをしていると、やはり年齢差を感じる。現役大学生だと、年齢差が20歳を超えていることとなる。
 この夏あるゲイ関係の小さな集まりで20歳の学生と話す機会があった。彼に、「自分の10年後=30歳はどう思う?」と聞いたところ、「想像できない」との答え、ついでに「40歳は?」と聞いたら「死んじゃう」と彼は答えた。ゲイとして、40歳になることは想像できないのであろう。
 あっという間に、20代、30代は過ぎ去った、という感じである。私は、その間は、とてもゲイとして充実していた。当然、今も、そうである。
 「にじ」の編集の永易さんと、はなしたことがあった。彼は「エイジング」を中心に据えて、雑誌の特集をつくったことがあった。 また、私は、彼自身がとても「エイジング」を気にしているのではないかと思っている。彼は、まだ、40前である。この1ヶ月以上の間、彼のBlogが更新されていないのが、とても気になる。

投稿者 tokyobear : 15:47 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月17日

<観光>ゲ_イバー

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昨日は、友人と夕方から会って、安いイタリアンレストランで、たらふく食べて、ワインも二人で、2本と、かなりまわってきているのに、時間はまだ9時であった。場所が新宿だったので、その足で2丁目へ。

 このごろ、あまり、2丁目には馴染みの店がない。何処かの店に行かなくてはならない、という強迫観念もない。よって、2丁目に出るときは、このごろ、新しい店を新規開拓や冒険を積極的にやっている。
 昨夜も、そのつもりで、新しいバーのドアを開けた。 その店は、開店して半年、その場所でやっていた前の店のマスターも、そのまた前のマスターも知っているので、当然<普通>の(ゲイ)バーと疑うことなく入った。もちろんとても狭い店なので、レイアウトは変えようがない。ペンキを塗り直した程度だ。
 入ってすぐ応対してくれたのは、若い(29歳)の従業員だった。「ママはすぐ戻りますから」と。しょうがないな、若専バーに来てしまったな、とこの時点で少し反省した。そこに、ママが登場。ここのママ、阿佐ヶ谷のバーのマスターと、出身が同じで、高校も先輩後輩との情報だけは入っていた。昨日は自宅で、この店をネットで検索したが、情報が一切出てこなかった。
 ママが開口一番「どなたからのご紹介かしらぁ~?」と聞いてきたので、阿佐ヶ谷のマスターの話をした。ひとしきり彼の話題をしたところで、「ウチはホモ料金じゃないの」と、切り出してきた。「では、ショットで一杯・・・」というところでも「ショットで飲むくらいなら、(ボトルを)入れた方が安いわよぉ~」の応答。 「ああ、阿佐ヶ谷のマスターのボトルがあるから飲む~?」で、救われたのである。
 正直このとき「観光バー」に来てしまった、と悟ったのである。多少、現金を多めに持ってきて良かったと感じた。 一刻も早くここを去りたいという気持ちを持ちながらも、顔は平静を装っていた。「あーら、頂いていいかしらぁ~」と先制パンチが飛んできた。「どうぞ」と、言うしか選択肢がない。
 約15分間、ストレートの人たちが描く「ゲイ」そのもの言葉での洗礼をうけ、ストレートの男女混成の団体が入ってきたと同時に、脱出した。勘定は2人で5000円也であった。セット料金2000円の二人分とママのビール代1000円ということであろう。本当の観光バーへ行けばこんな値段では済まないことは承知しているので、15分間の「社会勉強」代と考えた。また、ママは我々を間違えて入ってきた客と認識はしていると思う。<観光>バーと考えれば、ごく普通の対応と思う。
 そのあと<普通>のバーへ行って、ホッと落ち着いたのは言うまでもないことである。


 

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2004年11月15日

1円の買い物

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 今時、1円で買えるものは、ほとんどない。考えられるのは、携帯電話だ。その1円電話を昨日契約した。
 私は、昔から新しいもの好きで、携帯電話も約10年前に購入した。当時は、IDOとDoCoMo位しか携帯電話会社がなかった。数万円出して、1.5GHzの携帯電話を持ったときは感激した。

 それから、PHSに少し浮気をしてすぐやめて、ドコモで通している。ドコモが好きで継続しているのはなくて、成り行き上そうなっているだけだ。6年前、表示がカラーになって、また感激して買い換えた。携帯で音楽が聴ける!と飛びついた、しかし、重たい、バッテリーが持たないと、機種変更。その間に、モバイル環境にしたかったので、ドコモのPHSに加入した。カード端末ではなく、音声とCFスロットを持つ端末に。結局、課金システムが異常に高いので、ブラウザホンに機種変更。これは、職場にプライベートの携帯番号を知らせたくないので、職場専用機となり、まだ健在である。
 本当の携帯は、ソニーファンの様相を呈していて、SO503、SO505iを通って、現在SO213(プレミオ)に落ち着いている。 モバイルは、So-netのBit-warpに今年加入した。携帯電話より持ち運びは嵩張るが、りなざう+Bit-warpは私に最高のモバイル環境を提供してくれている。それでいて、通信料は定額で税込み2100円である。
 昨日1円で買ったのは、「海外専用機」として使うための、Vodafone V801SAである。価格は1円。毎年数回の海外へ行くのはあるが、いままで携帯とは無縁であった。まあ、なくても何とかなるが、「保険」として、購入した。日本で使わなければ、毎月の使用料は540円である。1年間解約できない「縛り」はあるが、それでも6480円+1円で、世界のほとんどのところで使える携帯が手に入る。通信料はベラボーに高い。メールも、日本語100字くらいで1通海外から送ると100円もする。しかし、緊急用とすればこれも納得する。
 この1円携帯=V801SAは、ネット上の評価はかなり厳しい評価を受けている。初期不良、個体差、ファームウエアの不良等々、ちょっと早まったかな、とも思うがまあ、1円なら許せよう。USIMが使えるユニバーサルな携帯を買おうとすると、定価が7万円もするのである。

投稿者 tokyobear : 20:58 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月13日

深夜2時

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何年ぶりかに、ハッテン公園なるものに行ってみた。 それも深夜2時。

  私のこのごろの活動はほとんど有料系、それもサウナ。公園デビューは、「夢の島緑道公園」(新木場)。今は目の前を国道が通っていて、とても駐車する余地がないけれども、当時は、先の橋が未完成だったため、東京へリポートへ行くクルマ以外とらなかった。よって、駐車は比較的楽にできた。公園内は妙に細長く、川を模したものがあったので、少しだが高低差もある。橋もあり当然その下もある。それより、街灯が全くなかった。週末など何十人の男が集まっていた。所在なさそうにベンチでタバコを吸う人が多かった。それが一種の目印だった。最盛期には、全裸の人、SMの人、鳶の格好で現れるものなど、大変活況を呈していた。 このごろ、駒沢公園も凄かったが、やや他に移動していた時期でもあった。このころから、ゲイバッシングがはじまり、芦花公園での事件が起きた。
 その当たりで、私は野外系は卒業したのである。今日久しぶりに公園へ行ってみて、風に揺らぐ木の音を聞きながら、何人かいた男の品定めをしたのが、妙に懐かしかった。

投稿者 tokyobear : 03:34 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月11日

地名

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  私は、小さい頃から同じところへ住んでいる。生まれてこの方この区から出たことがない。大学をのぞけば、就職先まで全て同じ区である。特に郷土愛などはないが、このごろの地名の付け方は酷すぎる。昭和40年代に大都市ではじまった「住居表示」は、古い地名を駆逐していった。何処を中心として付けたかはわからない「東西南北」を冠したものや、高台でもないのに「台」や「丘」をつけたり、抽象的な「光」「風」などの地名群である。

 このごろよく沖縄に行くのだが、地名=名前が羨ましい。社会学的には諸々の問題をはらんでいるのだろうけれど、その地名を変えることは自分の名前を改名させられるのと同意であろう。
 政府主導で、ここ数年自治体の合併が進んでいる。合併後の地名も酷いものが多い。近隣だから特に感じるのだが、「西東京市」これは保谷市と田無市が合併して出来た市だが、あまりにもイージーすぎる。たしかにA市がB市と合併して名前をA市とすれば旧B市民は「併合」されたと感じるだろう、だから、新しい名前をつけなければならないのは理解できる。しかし「西東京市」は酷すぎやしないか。だいぶ前になるが、北九州市ができたときも違和感を感じた。「南アルプス市」しかりである。
 市名ではないが町名を残しているところがある。識者が居たのであろうか、新宿区は古い地名を残している。例えば箪笥町、神楽河岸、矢来町など歴史を紐解くと興味深いものが出てくることが、この漢字を見ていても解る。
 新興ニュータウンへ向かう電車に乗っていて、駅名にワクワクする人など居ない。みんな同じに感じる。

投稿者 tokyobear : 21:42 | コメント (0) | トラックバック

カミングアウト

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 「ぼせweb」の第4回目のお題がこれである。この話題は少しばかり私のトーンが下がる。周りの、ゲイ活動家の方は、大方、「積極的にカミングアウトせよ」と言っているように聞こえる。

 この前の土曜日、元相方が参加しているNPOの講演会が、慶應義塾大学の教室で行われた。招かれたスピーカーの方は、大塚隆史さんともうひと方であった。大塚さんは、現新宿3丁目のバー「タックスノット」のマスターで、過去に薔薇族の編集部、ラジオの人気番組「スネークマンショー」でゲイを前面に出して話したり、日本における「ゲイリブ」以前の代表的なゲイの一人である。
 大塚さんの話は面白く、あっという間の45分ではあった。彼はご自身が日本における「カミングアウト」という言葉を使い始めた、と仰っていた。それはそれで、とても重要なことで、20数年前、ゲイがゲイと名乗れる環境が無かった日本に「カミングアウト」という言葉を使い始めて、ご自身も周りの方々にカミングアウトされたそうだ。
 私は、基本的に、「カミングアウトは慎重に」という立場である。自分の性的指向を他人に押しつけるようなカミングアウトは絶対に嫌いである。
 人と人の接し方は、相手が100人いれば、百態ある。男女、付き合いの浅い深い、職場などの上下関係、など扱いが全く異なる。 単なる友達とか、職場関係の人たちにあえて、こちらから、自分の指向を積極的に言うことが必要か、と考えるのである。数日前のミクシィの話題でも触れたが、声高に自分のことを言うことはない、と強く思う。 自分と相手の関係が深くなり、双方に信頼される関係ならば、この話題をしてもよいと考えるが、あえて、自分から言う必要はない。 世渡り術みたいだが、世の中キレイ事だけではすまない。職場でカミングアウトしたとしても、得られる満足感と、訪れるであろうマイナス要因を天秤ばかりにかけると、大概の職場では、マイナス要因の方が大きくなる。
 我々を含めて、日本では、ゲイを含む「少数の性的指向を持つ人」達を理解しようとする教育が為されていない。大方の人がそれらの人に対して、間違った或いは偏った情報を持っている。男性同性愛者と言えば、女装して、ナヨナヨして、オネェ言葉を喋る、といった偏ったイメージである。
 ある人が、多数の人の前でカミングアウトして、その間違っていたり、偏ったりしている人のイメージを変えることが出来るであろうか?大方の場合は、それが出来ない。
 ある人と、親交が厚くなれば、カミングアウト後のケアもしやすい。その人は貴方に興味があるのだから。時間をかけて、「ゲイとは何か」を伝えることができるかもしれない。そして、本当の貴方を理解できるかもしれないし、ゲイ一般のことも少しは理解が出来るようになるかもしれない。
 カミングアウトをするということは、人の前で「私はゲイです!」と言うことだけではなく、そのあとのことも考えてすべきだ。
 テレビなどのマスコミでは、このごろ安易に「カミングアウト」という言葉を使う。前述の大塚さんも嘆いていたが、本来は「身内の恥を、他人にさらす」という意味であるそうである。安易に使いすぎて鼻につく。
 私は、『「カミングアウトすることは慎重にすべき」と主張するゲイ』とカミングアウトする。
 
ぼせweb:4.友達へのカミングアウト体験 - [同性が好きかもしれないキミへ]

投稿者 tokyobear : 15:19 | コメント (0) | トラックバック

「性的少数者の人権の尊重」

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最近の地方自治体は男女問題を真剣に取り組んでいる。DV(ドメスティックバイオレンス)防止法や、雇用機会均等法の施行から積極的になってきたように思う。

 しかしながらDV防止法は、正確には「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」と言う。この並んでいる文言から見て、内縁を含む「結婚」した男女の相互間の暴力に関する法律と読み取ることができる。当然、この法律が施行される前にも「刑法」があり、「他人」を傷つけたり、殺せば、「傷害」「殺人」罪となり、裁かれた。しかしながら、日本の独特な習慣から殺人はともかく、軽い「傷害」程度は「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」で警察はもとより、周りは寛容な態度をとっていた。しかしながら、最近は実際に怪我をさせる傷害もさることながら、精神的にダメージを与える傷害も大変増えていると聞く。DVと聞くと男性が女性に危害を加えることを想像するが、その逆も大変多い。
 ここで、ゲイのカップルだったらどうだろう、と考えてみる。アメリカではDP問題でる。DPはドメスティックパートナー。今のところ、同性間の「結婚」は事実上米国では出来ない。しかしながら、多くのゲイ、レズビアンのカップルが同棲している事実がある。DPは「結婚」という法的手段を取り入れられないそれらのカップルに、社会的に認知して結婚に準じた扱いを受けるという、折衷案に私は思える。現実的には、勤務先から結婚している従業員には扶養手当が出るのに結婚していないゲイカップルにはそれが支給されない。仕方がないからDPという制度を作って、結婚と準ずる扱いをしようというものだ。今回のアメリカの選挙でも論点になったが、かなりのアメリカ人は「同性婚」を不快に感じている。そのなかでDP制度は妥協的折衷に感ずる。
 日本においては「同性婚」については、まだ、欧米の実態を興味本位でマスコミが伝えるだけだが、実際それを臨まれているカップルは多いと思う。
 「同性婚」はまだまだ先の話だが、「男女問題」「性差問題」は、地方自治体は真剣に考え始めている。宮崎県都城市の例だが「男女共同参画社会条例」を制定している。内容を引用すると、「男女共同参画社会の定義、都城市男女共同参画社会づくり条例 第2条第1号、性別又は性的指向にかかわらずすべての人の人権が尊重され、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会をいう。」
 この「性的指向ににかかわらず」がとても大事である。各自治体もこの手の条例を計画、施行しているが、ここまで踏み込んだ内容を持っているのは少数だ。ここでも、いままで少数の「性的指向」者を無視していた慣行が続いているところも少なくない。
 東京都知事石原慎太郎氏は、この手の話が嫌いだ。同性愛に対しても否定的な態度をとり続けている。HIV・AIDS対策も「ゲイ・同性愛」と標榜すると今まで付いていた補助金も付かなくなるので、名称を変えたりしていると関係者から聞いた。都立学校での生徒名簿の男女混合から旧態の男女別に戻すように指示した事も有名である。男女共同参画条例も「性的指向・・・」云々も削ったと聞く。
 私は政治には興味を持っていない。支持政党もない。昔で言えば「ノンポリ」である。しかしながら自分が「少数の性的指向を持った者」のひとりと強く意識している。同性間で、結婚しても、結婚しなくても良い世の中を望むし、同性間で結婚したら「新婚旅行休暇」と「扶養手当」を職場から頂きたい。

宮崎県都城市の公式HP http://www.city.miyakonojo.miyazaki.jp/download/2921/20040901-10.pdf
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Feest!

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2004年11月09日

初めてのバー

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今でも、初めて訪れるゲイバーの扉は、いまでも重い。内側では、どんな人がマスターか、会話は楽しいだろうか、好みのタイプが居るであろうか、といろいろなことが頭の中で渦巻いている。

私の初めてのゲイバーは、前に書いた、「初めてあった自分以外のゲイ」で書いた、外国の地であった。
80年代後半にオハイオ州コロンバスというところで初めて自分以外のゲイと会い、数十人のアメリカ人のゲイと1週間を過ごすうちに、皆が、ゲイバーへ行くことを薦めてくれた。その会合の終了後、私は、その足でカナダ最大の都市トロントに行くことになっていた。ここでは、薦めてくれたゲイフレンドリーホテル、「Hotel Serby」に宿泊した。 当時は一応「スパルタカス」という世界のゲイ事情、ゲイバーやサウナが紹介されている本を持参していたが、ゲイバーへ行くと決意したものの、どこへ行っていいのかわからなかった。 時間は午後7時くらいだとおもった。一番行きやすく、入りやすいバー「Club Corby」のドアを開けた。当時はほとんどしゃべれなった英語でビールを注文し、カウンタに座りホッとしていた。
 しばらくすると、座っていたカウンターの上に設置された、ポールに絡みつくように、若い半裸の男性がテンポの速い曲にあわせて踊りだした。客は、踊っている若い男の下着に札を挟んでいる。
 あまりにも、初めてのバー体験では刺激が強すぎたので、早々にそこを辞した。 ホテルに帰っても、そのホテルの地下はクラブになっていて、激しいサウンドが漏れてきて、中々寝付けなかった。
 次の日、思いを新たにして、違うバーへ向かった。「Badlands」、カントリー&ウエスタンゲイバー。ここは、さすがに半裸の若い男の踊りはなかったが、ウエスタンダンスの講習会をやっていた。前の日よりは落ち着いていたので、まぁ、いろいろと見ていた。結局、数時間そこにいただけで、ホテルに戻った。
 このあと、バンクーバー経由でシアトルに飛んで、そこでもバーへ行った。「Duble Harder」という店。ここでは、知り合った人に「お持ち帰り」されることとなった。行き先は、ゲイサウナ。ここで、海外でのゲイサウナデビューとなった。

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ぼせweb:3.初めてのゲイバー(レズビアンバー)体験 - [同性が好きかもしれないキミへ]

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2004年11月08日

ミク_シィ&ゲイ社会

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最近、このブログの更新をサボっている。理由ははっきりしている。時間が無いのだ。ここにも何回か書いたように、本来ここに書くべき時間をSNSにとられているからだ。

  自分で書くのもおこがましいが、このブログを書くには、かなりのエネルギーを必要としている。毎日生活して行く中で、「ネタ」を探し、それを選択して、ここに臨んでいる。拙い文章だが、それなりに考えながら書いている。
 そこに出現したのがSNS「ミクシィ」だ。このシステムは、当然ゲイ専用のサービスでは無いが、今の一般的なゲイのライフスタイルにはピッタリ合致したシステムである。 まず、「紹介者がないとミクシィには参加できない」ということ。これは、最低限のセキュリティが守られていることとなる。現状で言えば、ほぼゲイの参加者はゲイの参加者から紹介を受けて参加している。いままでの伝言板のようにオープンでないので、友人を辿っていけば、その人の情報を掴むことは比較的簡単だ。よって、掲示板やメールは匿名で投書出来ないので「スパム」や「掲示板荒らしが」出来にくい環境になっている。これは、非常に重要なポイントである。いままでのネットでの暗い部分が、かなり緩和できることは、気分的に楽に参加できる。また、かなり匿名性をともなって活動していた私を含めたゲイ達が、少しオープンになった事と言えるであろう。それに関連して、このシステムでは、制限はあるものの「画像」が扱える。 各個人に与えられるメインのページに3つの映像を載せることが出来る。このページは、このシステムでの個人の玄関のような物であるから、訪れた参加者はまず、この映像を確認することとなる。私感では、ゲイと公言している人と、ゲイと思われる参加者の約半分が、個人を特定できる顔を掲載している。さすがに、本名を公開している人は皆無である。システムの上で友人、知り合いを捜し出すとその人を、相手の承認を得て、「登録」でき、その登録済みの人は、それぞれ各個人のページに表示される。したがって、ゲイの人は、そのページを見て、その人の友人の画像を見れば、初めて訪れる個人ページでも、大体ゲイか否かが解ってしまうのである。
 各個人用のページには「日記」を書くスペースを与えられている。ほとんどが、日記というよりも、一言エッセーや「今日の出来事」を1,2行書いている。他愛ない無い物が多いが、その日記に、コメントをつけられるので、そのコメントも皆、軽く書いている。前述のように友人、知人を登録しておくと、彼らが、日記を更新すると、自分のページでそれが確認できるので、コメントをするのが比較的楽だ。しかしながら、顔の広い有名人の方だと、200人以上の登録があるので、それをチェックして、コメントを書くことは、さぞかし大変なことになるだろう。
 ミクシィの中には「コミュニティ」という、システムの中のサークルみたいなものがあって、誰でも、造れて、参加できる。このごろは「ゲイの人のみ参加可」とはっきりうたっているコミュニティもある。これも参加すると、各個人のページにアイコンが表示される。
 参加費が<今のところ>無料、というのも歓迎される。アフェリエイトで賄っているというが、しばらくすると、ひとつのシステムの中で機能限定版の現行バージョンと、有料のバージョンが設けられると、私は考える。
 私もゲイという立場を微妙に隠しながらこのミクシィに参加している。これは、このシステムがゲイ専用で運営されている訳ではないので、それなりに配慮をする必要があると、自己判断しているからだ。どれだけの参加者が居るか、計り知れないが、全体の参加者に対するゲイの割合が、一般の社会と比べてとても高いと思量される。 このような状態になると、いままでのネットでは、有形、無形のゲイに対する侮蔑的行動が目についた物ではあるが、ここでは無い。理由は簡単だ「匿名」で行動をここでは起こせないからだ。ゲイは、タガをはめないと暴走する危険をはらんでいる。各個人に任されている自分の写真も、明らかにゲイセクシャリティを全面に押し出した写真を掲載する輩も散在する。
 ゲイがゲイのセクシャリティをストレートのセクシャリティと比較して、劣等感を持つことは全くない。対等である。100%は信じないがカミングアウト論の基本である。しかしながら、それを声高に、ストレートの人々にわざわざ言うことはない。興味を持った人にのみ言えばよい、と私は思っている。 仮にストレートの人に自分の性向の事を具体的に告げられたとしても、その人自身に興味がなければ、ただ不快になるだけだ。
 今のミクシィがそうならなければいいと思っている。 例えは悪いが、満員の通勤電車の車内のあちこちで大声でオネェ言葉で喋られたら、ストレートの人は、かなり不快になるのではないか。喋ることは、権利でもあるが、それを振り回すと、聞かないことも権利だと、言い返される。お互いに不快にならない程度に普通のレベルで会話すべきである。ゲイもストレートも大きな「社会」の中では共生していかなければならない。
 うがった見方をすれば、ゲイがストレートと同じ権利を手にするためには、その目的を達成するために、ゲイがストレートに譲歩すべき部分もあるだろう。この世の中、信念だけで目的を達成できないことは皆知っているはず。私は決してゲイリブ信奉者ではなく、単に、個人的にストレートの人たちと「同じ」権利があればいいな、と思っている程度である。
 このままでは、ゲイ専用SNSが出現して、また隔離され、差別を受けることとならないであろうか。

投稿者 tokyobear : 19:10 | コメント (1) | トラックバック