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2004年11月08日

ミク_シィ&ゲイ社会

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最近、このブログの更新をサボっている。理由ははっきりしている。時間が無いのだ。ここにも何回か書いたように、本来ここに書くべき時間をSNSにとられているからだ。

  自分で書くのもおこがましいが、このブログを書くには、かなりのエネルギーを必要としている。毎日生活して行く中で、「ネタ」を探し、それを選択して、ここに臨んでいる。拙い文章だが、それなりに考えながら書いている。
 そこに出現したのがSNS「ミクシィ」だ。このシステムは、当然ゲイ専用のサービスでは無いが、今の一般的なゲイのライフスタイルにはピッタリ合致したシステムである。 まず、「紹介者がないとミクシィには参加できない」ということ。これは、最低限のセキュリティが守られていることとなる。現状で言えば、ほぼゲイの参加者はゲイの参加者から紹介を受けて参加している。いままでの伝言板のようにオープンでないので、友人を辿っていけば、その人の情報を掴むことは比較的簡単だ。よって、掲示板やメールは匿名で投書出来ないので「スパム」や「掲示板荒らしが」出来にくい環境になっている。これは、非常に重要なポイントである。いままでのネットでの暗い部分が、かなり緩和できることは、気分的に楽に参加できる。また、かなり匿名性をともなって活動していた私を含めたゲイ達が、少しオープンになった事と言えるであろう。それに関連して、このシステムでは、制限はあるものの「画像」が扱える。 各個人に与えられるメインのページに3つの映像を載せることが出来る。このページは、このシステムでの個人の玄関のような物であるから、訪れた参加者はまず、この映像を確認することとなる。私感では、ゲイと公言している人と、ゲイと思われる参加者の約半分が、個人を特定できる顔を掲載している。さすがに、本名を公開している人は皆無である。システムの上で友人、知り合いを捜し出すとその人を、相手の承認を得て、「登録」でき、その登録済みの人は、それぞれ各個人のページに表示される。したがって、ゲイの人は、そのページを見て、その人の友人の画像を見れば、初めて訪れる個人ページでも、大体ゲイか否かが解ってしまうのである。
 各個人用のページには「日記」を書くスペースを与えられている。ほとんどが、日記というよりも、一言エッセーや「今日の出来事」を1,2行書いている。他愛ない無い物が多いが、その日記に、コメントをつけられるので、そのコメントも皆、軽く書いている。前述のように友人、知人を登録しておくと、彼らが、日記を更新すると、自分のページでそれが確認できるので、コメントをするのが比較的楽だ。しかしながら、顔の広い有名人の方だと、200人以上の登録があるので、それをチェックして、コメントを書くことは、さぞかし大変なことになるだろう。
 ミクシィの中には「コミュニティ」という、システムの中のサークルみたいなものがあって、誰でも、造れて、参加できる。このごろは「ゲイの人のみ参加可」とはっきりうたっているコミュニティもある。これも参加すると、各個人のページにアイコンが表示される。
 参加費が<今のところ>無料、というのも歓迎される。アフェリエイトで賄っているというが、しばらくすると、ひとつのシステムの中で機能限定版の現行バージョンと、有料のバージョンが設けられると、私は考える。
 私もゲイという立場を微妙に隠しながらこのミクシィに参加している。これは、このシステムがゲイ専用で運営されている訳ではないので、それなりに配慮をする必要があると、自己判断しているからだ。どれだけの参加者が居るか、計り知れないが、全体の参加者に対するゲイの割合が、一般の社会と比べてとても高いと思量される。 このような状態になると、いままでのネットでは、有形、無形のゲイに対する侮蔑的行動が目についた物ではあるが、ここでは無い。理由は簡単だ「匿名」で行動をここでは起こせないからだ。ゲイは、タガをはめないと暴走する危険をはらんでいる。各個人に任されている自分の写真も、明らかにゲイセクシャリティを全面に押し出した写真を掲載する輩も散在する。
 ゲイがゲイのセクシャリティをストレートのセクシャリティと比較して、劣等感を持つことは全くない。対等である。100%は信じないがカミングアウト論の基本である。しかしながら、それを声高に、ストレートの人々にわざわざ言うことはない。興味を持った人にのみ言えばよい、と私は思っている。 仮にストレートの人に自分の性向の事を具体的に告げられたとしても、その人自身に興味がなければ、ただ不快になるだけだ。
 今のミクシィがそうならなければいいと思っている。 例えは悪いが、満員の通勤電車の車内のあちこちで大声でオネェ言葉で喋られたら、ストレートの人は、かなり不快になるのではないか。喋ることは、権利でもあるが、それを振り回すと、聞かないことも権利だと、言い返される。お互いに不快にならない程度に普通のレベルで会話すべきである。ゲイもストレートも大きな「社会」の中では共生していかなければならない。
 うがった見方をすれば、ゲイがストレートと同じ権利を手にするためには、その目的を達成するために、ゲイがストレートに譲歩すべき部分もあるだろう。この世の中、信念だけで目的を達成できないことは皆知っているはず。私は決してゲイリブ信奉者ではなく、単に、個人的にストレートの人たちと「同じ」権利があればいいな、と思っている程度である。
 このままでは、ゲイ専用SNSが出現して、また隔離され、差別を受けることとならないであろうか。

投稿者 tokyobear : 2004年11月08日 19:10

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コメント

初めまして。自分は仙台在住のゲイで、mixiを昨年末から、ブログを年明けから始めたばかりです。他の人のブログからここに辿り着いたのですが、Lonestarの記事はいろいろと勉強になります。この記事へトラックバックさせていただきました。

これからも、トラックバックさせていただいたり、記事へのリンクを張らせていただいたりすると思いますので、よろしくお願い致します。<(_ _)>

それから、この記事で書かれているカミングアウトについての考え方、共感できるものがありました。自分もそのうち、自分なりのカミングアウトについての考えを、自分のブログで書いてみたいと思います。

投稿者 : 2005年01月25日 20:13

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