食う寝るところに住むところ
このようなタイトルを付けると、いかにも爺くさい。が、これしか浮かばなかった。落語「寿限無」の一節であるが、生きていく上での基本である。私は「実家」というものが無い。父親が甲斐性無しで、無一文で私が小さい頃に逝ってしまったためだ。
父親亡き後も、何故か、当時住んでいた家をその後30年近く、無償で住み続けられたことは、ボロの家としても、とても幸運なことであった。まぁ、登記簿上の持ち主と、父親との貸借関係がはっきりしなかったため、延び延びになっていた。
ある日、突然地元の裁判所から呼び出し状が送りつけられ、立ち退きの調停への招集であった。いつかはくるだろうと思っていたが、やはり、裁判所となると穏やかではない。数ヶ月、裁判所に通い、立ち退くこととなった。
私は母親と同居している。兄弟はいない。この条件で、住むところを確保しなければならなくなった。34歳の時である。引っ越しも初めて、集合住宅に住むのも初めてであった。母親と最低限のプライバシーを保つために、間取りは2DK以上ではならず、薄給の身である上、部屋探しは難しく、結局条件は2DKで月11万+駐車場費、ということになった。当時の手取りの半分は住居費で消えていた。母親は、無職で、国民年金受給者である。
1回目の更新が過ぎ、2回目の更新を迎える半年前に少し考えた。まず、東京では習慣になっている2年に1度の更新料。これは通常は家賃1か月分である。少し計算をしたら、4年間で相当な金額を払っている自分に気がついた。
自分はゲイであり、将来、多分子供はもうけない。多分親は先に逝くし、兄弟、親戚縁者もいない。天涯孤独になることは判っている。そのような環境だから、財産を残そうとは、まったく考えない。
しかし、「老後」&「孤独なゲイ」とい公式を眺めているうちに、やはり、年老いても、少なくとも、住むところだけは確保しておきたい、と思うようになった。 もちろん、民間の賃貸アパートや公営住宅の入居も考えたが、今ひとつ踏ん切りがつかなかった。
ある日、帰宅後、集合住宅のポストに投げ込まれていた、チラシが目に入った。分譲マンションのチラシである。このマンションは、30数年住んでいた場所に程近く、土地勘がある場所であった。価格は安くはなかったが、無理すれば何とかなるような気がしていた。
結局、その後、気の遠くなるような書類作業と、何十回となく印をつき、職場からも借り入れを行って、35年という、気の遠くなるようなローンを組み、引っ越した。
以来そこに住んで5年目になる。この世の中、給料は下がるが、ローン返済は変わらない。まぁ、4年住んでいた集合住宅と、確かに、毎月支払う額はそう変わらない。
正直言って、買ってしまったものの、先のことは全く見えてこない。今の職場に定年までいるとしたら、もう、折り返し点は通過してしまった。その職場も、これからどう変わっていくかは、全くわからない状況だ。
このような状態を考えていくと、やっぱり、同性同士の結婚ができればいいかな、と少し思うことがある。 いまのところ、このマンションのローンを完済して、自分の物となっても、それを相続する人が、誰もいそうもないのである。国のものになってしまうのは、ものすごく惜しい。
「にじ」の永井さんが、しきりに「エイジング」を気にされていたが、今の私は、それを、あえて見ていない自分がある。ローンの残高や、将来受け取れる年金の金額は計算すればすぐわかる。そのためには、多分、月々幾らいくらの貯金をしなければならないという結果も出てくるであろう。しかし、私はそれができないでいる。
自分の老後は「バラ色」には思えない、しかし、それを考えることを、今、あえて忌避している。沖縄の言葉、なんくるないさぁ(どうにかなるさ)がとても好きだ。
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