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2004年12月22日

2004旅の総決算

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 今年は、いつもの年より、行動的に動いた。全てプライベートである。前にも書いたとおり、今年は私の財政が危機的状態に陥っているにもかかわらず。このような状態である。

 先週、先々週と帰京する際「ムーンライトながら」を使用した。例の「青春18キップ」を使うときの定番列車だ。完全に座席指定のため、指定券が取れればとても快適だ。品川到着4時半少し前、山手線始発列車に連絡して、新宿到着午前5時丁度。
 クリスマスイヴから、博多で2泊。友人とともに過ごす。恋人ではない人と、イヴの夜を過ごすのは、やや抵抗があったが、成り行き上そうなってしまった。
 今年は、本当に旅が多い年だったと思う。サンフランシスコ4回、ホノルル1回、那覇7回そのうち一回は、東京-那覇-福岡-札幌-東京という行程。大阪4回、うち1回は高松へのディトリップ付き。名古屋、札幌1回、福岡は2回。
 那覇7回は全て、航空会社のマイルを使用した。札幌も同様である。これで、今年、貯めたマイルと使ったマイルがほぼ均衡している。
 これだけ旅をしていると、何を節約すべきかわかってくる。ほとんどが、一人旅なので、ホテルは安全で、清潔で、安いというところをいつも探している。あたり、ハズレもある。先週の名古屋のホテルは、「チェックアウト12時」という魅力的なキャッチで投泊したが、部屋は狭く、酒、タバコ臭かった。5800円。
 ホノルル3泊10500円の宿は、本当に必要最低限な設備だが、この価格では納得。那覇のホテルは、スタンプカードがあって、10泊すると1泊タダ。それでいてシングル4000円、ツインでも6000円。札幌はシーズン前だったので、3500円位で宿泊。サンフランシスコの定宿は、直接予約を取ると$99プラス税金となるが、JTBのWEBで予約を取ると、税込み日本円で8800円程度になる。大阪は、某チェーンビジネスホテルからウイークリーマンションが定宿に変わった。設備は質素だが、広くてキッチンがあって、ツインで7500円くらい。
 このような旅をしていると、ネットの情報は本当に有用である。日本では、まだ、価格破壊が進んでいるようで、調べてみるとホテルやレストランのディスカウントがあちこちに落ちている。

投稿者 tokyobear : 13:09 | コメント (0) | トラックバック

マイレージサービス

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 ここのところ、ずっと、はまっているのが、航空会社の行っている「マイレージサービス」だ。まんまと航空会社の思うツボにはまってしまっている。
 マイレージサービスは、簡単に言えば、量販店で行っているポイントサービス、スタンプサービスの類と一緒だと考えれば解りやすい。

マイル(=ポイント)の取得は、基本的には運賃を払って飛行機に乗れば、その移動した距離がそのままマイル数となりそれぞれの口座に貯まる仕組みである。溜まったマイルは、無料航空券やエコノミークラスからビジネスクラスへアップグレードするときなどに使用できる。
 また、高頻度で同じ航空会社を使うと、優良顧客となり、扱いが変わってくる。これも、1年間にどれだけのマイル数を獲得できたかで次年度のステータスが変わってくる。
 私は嫌いな言葉だが「修行」という言葉がある。普通飛行機に乗るのは目的地に用事があるから乗るのであるが、「修行」とは、飛行機に乗って、マイル数や搭乗回数を増やすことを目的として飛行機に乗ることである。
日本の航空会社の制度では、毎年元日から大晦日までの1年間に30回搭乗または3万マイル搭乗で、第一段階、50回、5万マイルで第二段階、120回、10万マイルで第三段階のカテゴリーとなる。
その会社の第二、第三段階の優良顧客となると、明らかに一般の利用者と異なるサービスが受けられる。まず、飛行機に搭乗する際、特別な待合室(=ラウンジ)が提供される。ラウンジ内では、アルコールを含む飲み物は全て無料である。第二に予約とキャンセル待ちの際、一般の旅客よりも常に優先される。飛行機の中で着席できる場所をほぼ指定できるなど、多頻度で使用するユーザーはとてもありがたい制度である。故に、無理をしてでも年間50回搭乗を達成するために「修行」と称して乗ることとなる。日本の航空会社の場合は、無理をしてでも1回第二段階の顧客になれば、その顧客にしか入会申し込みの資格が与えられないクレジットカードを作成すれば、毎年会費1万円を支払い続けていれば、「第二段階」の優良顧客というステータスを持ち続けられる。
 私は米系の航空会社のマイルの会員だが、こちらは、優良顧客となるためには、毎年規定のマイル数を飛ぶことを要求される。しかしながら、この十数年間確実に毎年3回以上渡米している私は、かえって米系航空会社の方が使いやすい。アメリカでの航空券の値段は、距離当たりの単価が極端に安い。 通常時の成田-サンフランシスコ間の格安航空券の値段は6~8万円くらいである。それで得られるマイル数は約1万マイルである。日本国内線は運賃が距離当たりの単価が高く、通常、マイル数は倍にカウントされるが、東京-大阪間、安売りで2.6万円くらいで800マイルである。バーゲン運賃で東京-那覇で1万2千円で2000マイルが精一杯である。
ということで、私は、アメリカへ行ってマイルを稼いで、そのマイルを日本国内線の無料航空券に変えている。今年は東京-沖縄間を6往復無料券を使用した。
最近見た航空会社の広告で、東京-ニューヨーク間の格安航空券が3.5万円で売っていた。これを見たら「修行」しても良いかなと思った。

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2004年12月20日

名古屋・バイアスイメージ

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 週末から名古屋に出かけていた。名古屋のゲイの周辺は、私にとって、あまり良いイメージがなかった。それにもめげず、2年に1回くらいは、訪れていた。この夏も、友人の誘いに乗って、名古屋へ行ったが、印象は変わらなかった。

 今までは、旅行者として、数件のバーへ行き、たわいない事を喋り、時間を潰していた。タイミングの問題だとは思うが、名古屋のバーで私の好みの男に出会うことは無かった。
 今回、例のSNSで知り合った方から、名古屋のゲイコミュニティの方々と、バーを介せず知り合う事ができた。 また、本音トークも聴くことが事ができたし、私も話すことができた。
 偶然だが、滞在中の最終日に、そのグループの忘年会に参加する機会を得た。このような飲み会はここ10年ほど、私が主宰しているグループの幹事をずっとしているので、観客側になるのは久しぶりである。 しかし、日頃、幹事をしているおかげで、グループ役員の働きぶりを知らず知らずに観察してしまうのである。
 昨日場合は、多少、大規模な食べ放題レストランであることだとは思うが、おおらかというか、大胆といおうか、会場で大声で「オネェ言葉」が飛び交い、他のお客さんに対して、それを隠そうとしないことが、ある意味で感動した。 私が幹事をしているときは、かなり気を遣っている部分である。
 外見も中身も色々な方と喋ることができて大満足であった。楽しいゲイコミュニティは海外!とばかり思っていた自分を少し反省した。
 来年は名古屋通いがはじまりそうな予感である。

(写真は名古屋名物「あんかけスパゲティ」)

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2004年12月17日

カメラ

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 最近、型遅れのデジカメを安価で買った。ミノルタのDiMAGE Z1だ。いままで、中途半端なデジカメを使っていたせいか、このカメラ撮影していると、撮っている事自体が楽しくなってくる。

 子どもの頃から、カメラが好きで、おもちゃカメラのカメラ、ボルタフィルムを使う、今のレンズ付きカメラよりももっと原始的なカメラだった。 それでも、楽しかった。カラーを使える余裕が無くて、いつも白黒。現像ができあがるまで2,3日かかったがそれが待ち遠しかった。小学生高学年になると、「リコーオートハーフ」という本物のカメラを与えられた。嬉しかった。35ミリフィルムを使うのだが、画面を半分にして、倍使うという、今では考えられない発想だ。この頃はオリンパスが「ペンEE」というヒットを出していたので、リコーはこれを追った形だった。
 中学生ともなると、もっと本格的なものが欲しくなり、中古だが、ミノルタSR-T101という一眼レフを手に入れた。交換レンズはしばらく無く、50ミリF2の標準レンズで通した。このカメラ調べたら1966年発売だそうだ。 TTL測光のシンプルなカメラだった。
 交換レンズも、やっと、28ミリと、200ミリを手に入れた。高校時代は、一時、写真部に入部して、モノクロームフィルムの現像や引き延ばしも自宅でしていた。
 大学に入り、カメラのボディはミノルタX7に変わったが、レンズは、MCレンズをそのまま使っていた。卒業、就職の後、写真を写すということが億劫となり、ほとんど、そのままであったが、X7が故障したのがきっかけで、中古のX700を購入した。
 その数年のちに、カシオがQV10というデジカメを発売したのと同時に、デジカメに乗り換え、中途半端なカメラを使い続けて、先月ミノルタ・ディマージュZ1に落ち着いている。 
 カメラメーカーというのは、やはり、個人との「相性」みたいなものがあって、私はミノルタに帰ってきたという感慨がある。 
 このZ1は「ミノルタ」ブランドの最後のデジカメである、これ以降、コニカと合併したため、コニカ・ミノルタブランドとなり、ロゴも併記してあり、ごちゃごちゃした感じを拭えない。
 30年前のレンズ、20年前の一眼レフボディは現役である、しかし、今使っているデジカメは何年使えるであろうか。昔のカメラは「道具」の風格があった、いまのデジカメにそれはない。耐久性も、今のカメラの方が遙かに悪いと思う。大概の人は壊れる前に飽きてしまうし、新しいカメラに引きつけられるのであろう。価格も、30年前に一眼レフをそろえると、10万円くらいした。ニコンのFなど買おうとしたら、30万円くらいした。感覚的に、今のカメラの価格の十倍くらいであろうか。
 「ミノルタ」は「実る田」から由来していて、レンズの名称「ROKKOR(ロッコール)」も兵庫県の「六甲」からきているのをご存じであろうか。

投稿者 tokyobear : 20:28 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月16日

食う寝るところに住むところ

このようなタイトルを付けると、いかにも爺くさい。が、これしか浮かばなかった。落語「寿限無」の一節であるが、生きていく上での基本である。私は「実家」というものが無い。父親が甲斐性無しで、無一文で私が小さい頃に逝ってしまったためだ。

 父親亡き後も、何故か、当時住んでいた家をその後30年近く、無償で住み続けられたことは、ボロの家としても、とても幸運なことであった。まぁ、登記簿上の持ち主と、父親との貸借関係がはっきりしなかったため、延び延びになっていた。
 ある日、突然地元の裁判所から呼び出し状が送りつけられ、立ち退きの調停への招集であった。いつかはくるだろうと思っていたが、やはり、裁判所となると穏やかではない。数ヶ月、裁判所に通い、立ち退くこととなった。
 私は母親と同居している。兄弟はいない。この条件で、住むところを確保しなければならなくなった。34歳の時である。引っ越しも初めて、集合住宅に住むのも初めてであった。母親と最低限のプライバシーを保つために、間取りは2DK以上ではならず、薄給の身である上、部屋探しは難しく、結局条件は2DKで月11万+駐車場費、ということになった。当時の手取りの半分は住居費で消えていた。母親は、無職で、国民年金受給者である。
 1回目の更新が過ぎ、2回目の更新を迎える半年前に少し考えた。まず、東京では習慣になっている2年に1度の更新料。これは通常は家賃1か月分である。少し計算をしたら、4年間で相当な金額を払っている自分に気がついた。
 自分はゲイであり、将来、多分子供はもうけない。多分親は先に逝くし、兄弟、親戚縁者もいない。天涯孤独になることは判っている。そのような環境だから、財産を残そうとは、まったく考えない。 
 しかし、「老後」&「孤独なゲイ」とい公式を眺めているうちに、やはり、年老いても、少なくとも、住むところだけは確保しておきたい、と思うようになった。 もちろん、民間の賃貸アパートや公営住宅の入居も考えたが、今ひとつ踏ん切りがつかなかった。
 ある日、帰宅後、集合住宅のポストに投げ込まれていた、チラシが目に入った。分譲マンションのチラシである。このマンションは、30数年住んでいた場所に程近く、土地勘がある場所であった。価格は安くはなかったが、無理すれば何とかなるような気がしていた。
 結局、その後、気の遠くなるような書類作業と、何十回となく印をつき、職場からも借り入れを行って、35年という、気の遠くなるようなローンを組み、引っ越した。
 以来そこに住んで5年目になる。この世の中、給料は下がるが、ローン返済は変わらない。まぁ、4年住んでいた集合住宅と、確かに、毎月支払う額はそう変わらない。
 正直言って、買ってしまったものの、先のことは全く見えてこない。今の職場に定年までいるとしたら、もう、折り返し点は通過してしまった。その職場も、これからどう変わっていくかは、全くわからない状況だ。
 このような状態を考えていくと、やっぱり、同性同士の結婚ができればいいかな、と少し思うことがある。 いまのところ、このマンションのローンを完済して、自分の物となっても、それを相続する人が、誰もいそうもないのである。国のものになってしまうのは、ものすごく惜しい。
 「にじ」の永井さんが、しきりに「エイジング」を気にされていたが、今の私は、それを、あえて見ていない自分がある。ローンの残高や、将来受け取れる年金の金額は計算すればすぐわかる。そのためには、多分、月々幾らいくらの貯金をしなければならないという結果も出てくるであろう。しかし、私はそれができないでいる。
 自分の老後は「バラ色」には思えない、しかし、それを考えることを、今、あえて忌避している。沖縄の言葉、なんくるないさぁ(どうにかなるさ)がとても好きだ。

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2004年12月13日

モノレールの恐怖

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 懐かしきテレビ番組「サンダーバード」にこれと同じタイトルがあった。今回の話題はモノレールである。
 日本全国では、北九州、湘南、千葉、多摩のような住宅地と鉄道駅を結ぶモノレールと、空港への輸送が絡む、東京、大阪、那覇がある。

 その中での老舗は「東京モノレール」である。1964年、東京オリンピックと同じ年に開業だから、大体私と同じ年、40年である。 私も小さい頃は、浜松町から東京国際空港へモノレールで行って、パンナムかBOACの飛行機で海外へ行きたい、と漠然と思っていたことがあった。もちろん高値の花とういか、「夢」そのものではあった。その、「モノレール」という、当時では、超モダンな、ハイテクな、夢のような乗り物は、飛行機に搭乗する、とても非日常、時としては、一生に1回の飛行機搭乗という、大イベントのプロローグとしてはピッタリであった。私の飛行機の初搭乗は、1976年頃であったが、まだ、その面影をモノレールは保っていた。
 時が過ぎ、現代は、飛行機は、誰でも乗れる公共輸送機関となり、特別のことでは無くなった。新幹線と競合する区間では、航空運賃の方が安い場合も散見される。空港とのアクセスも、羽田で言えば、京浜急行が羽田に乗り入れ、品川まで直通で乗り入れている。また、バスの便も、大幅に増えている。
 このごろ、羽田へ行く回数が増えている。今年はすでに10回ほど羽田を利用しているが、いつも、モノレールにしようか京急にしようか考えて、結局、京急を利用することが多い。 
 理由は、簡単である。「モノレールは、何かあったとき怖い」ということである。金曜日大阪に飛んだときは、モノレールを選んだが、羽田に着くまでの間、窓の外の、コンクリート製のレールを見ていた。もちろん、修繕は行っているのであろうが、傷みが目に見えている。ところどころ、小さくはげ落ちたコンクリート、つなぎ目の金属部分の錆、橋などの構造物の全体的な劣化などである。
 先日も大きな地震があったが、もし、東京であの規模の地震が起こったら、これらは絶対にもたないだろうな、と素人目では見える。それと、いけないのは、東京モノレールは、海や運河の水の上の場所を走行していることが多いのである。これも、万一の時のことを想像させる原因でもある。
 東京モノレールは、開業当時から日立製作所の関連として営業していたが、経営難に陥り、現在はJR東日本グループの関連となっている。ワンマン化して、快速電車をつくり、頻繁な間隔で走らせているが、そんなに無理をさせて大丈夫か、と思う。同時期の、東海道新幹線や首都高速も同様であるが、これらの構造物の寿命は何年で設計されたものであろうか。具体的に、これらの安全対策についてのアナウンスは聞こえてこない。
 一方の京急空港線であるが、開業が新しい分安心できる。空港部分と大鳥居部分にトンネルがあるが、新しい分、モノレールの海の上よりかなり安心できる。
 東京モノレールは、時々、羽田空港から山手線内各駅まで500円という、バーゲンをやっているが、そうでもしないと、客が離れていってしまうからだろう。利用者は、あまりこのことについて語らないが、多分私と同じように「モノレールの恐怖」を感じている人が多いと思う。


 

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2004年12月09日

JRで横浜・博多の運賃2300円!?

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  今年の年末は事情があって、暇になってしまった。いつもならば、クリスマス、暮れ、正月と、とんでもなく忙しくなる時期なのだが、今年はゆっくり出来ることになった。反面収入は大幅にダウンすることは仕方がない。

 そのような状況の中、今週末から年明けまで、週末のスケジュールが詰まってしまった。詰まった、といっても自分で入れたスケジュールであるので、気楽ではあるが。
 今週末は、パートナーの住む関西へ移動する。うち一日は、日帰りで高松へ行って、うどんでも食べようかと思案中。その次の週末は、名古屋へ。名古屋で積極的に活動を行っている「エンジェル_ライフ_ナゴヤ」の勉強会がある。その手のイベント、勉強会には今まで一度も出席したことがないが、今回は縁があって出席することとなった。その次の週は、友人とともに博多へ。これは、友人からの誘いに乗った形である。その後は、年末、年始にパートナーが上京というスケジュールである。
 明日は、ボーナス支給日ではあるが、今年は、全く期待できない状態である。冗費はなるべく抑えたいが、もともと放浪癖がある身であるので、暇があると、尻がムズムズしてくる。そこで、移動する費用を極力節約することにした。暇があってカネがない、学生に戻ったようだ。
 今回は丁度具合が良いことに10日から使用できるJRの「青春_1_8_きっぷ」を活用することにした。いろいろ細かいルールはあるのだが、このキップは1日2300円で、JR全社の「普通・快速列車」のみ、距離無制限で乗り放題というものである。「普通・快速列車」のみというのがミソで、新幹線や特急列車は使えない。特急券を買ってもそのキップでは乗れず、別に乗車券が必要となる。
 東京・大阪間は、新幹線のぞみで2時間半である、在来線で同じ区間は約9時間かかる。
 夏に東京大阪をこのキップで行ったが、中央線の始発電車で東京へ向かい朝5時20分発の列車で西へ向かった。名古屋で昼。このまま東海道線で大阪に向かうと、少し早すぎると思い、急遽経路を変更して、関西本線、亀山、奈良を経て天王寺に出た。このときは、12時間を要したが、それほど苦にならなかった。まぁ、このくらいが、精一杯ではあるが。このごろのJR各社は無駄なコストを省くため、編成が短くなったり、ワンマン運転のところが多い、そのため、関西本線の柘植・加茂間のディーゼルカーも乗車率は100%に近かった。
 時刻表上の遊びではあるが、横浜深夜0時14分発の列車で出発すれば、たくさんの乗り換えを経て、博多に21時22分そして、荒尾に深夜24時丁度に到着する。北へは、夜行の快速列車が無いので、上野朝5時20分の始発の東北本線で出発すれば、青森20時45分、蟹田22時42分に到達する。これだけ乗っても2300円である。陸海空の公共交通機関で、一般の人が購入出来る運賃では、間違いなく、距離当たりのコストパフォーマンスが一番高い。
 このキップはやはり「縛り」がある。まず、発売期間が、学生の春、夏、冬休みのシーズンだけ発売される。「5回」単位で発売され、バラ売りはしない。一人で5日使っても、5人で1日使うことも可能だが、複数人で使用する場合は同一行動しかできないなどである。もし途中でギブアップしたら、その駅から、新幹線に別にキップを買って乗れば良いわけだから、そんなにプレッシャーはない。東京から西へ向かう場合、三島までの普通運賃が2210円だから、だいたいそこまで乗れば、元は取った計算となる。
 この年末は1回目は東京、大阪間、2回目は大阪から徳島そして名古屋まで、3回目は徳島行きのパートナー用、4、5回目は名古屋往復で使うつもりでいる。 
 さすがに博多へはこのキップで行く自信がない。今回は航空会社のマイレージサービスで、無料で飛ぶつもりである。やっぱりタダで、早く着くのが一番いい。

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2004年12月07日

Quiet Storm

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 世界エイズデーに日本で、一つの小冊子が出版された。「Quiet Storm-静かなる嵐」である。

 正直書くが、先ほどまでこの小冊子が出版されたことを知らなかった。 
 HIV&AIDS問題を考えると、つい、ごく狭い地域、例えば都道府県、市町村の単位で考えてしまう。大きくても日本。あるいは、欧米の事情を考えてしまう。
 この小冊子は、日本よりはるかに厳しい状態になっている、アジア、太平洋地域のHIV&AIDSの現実を知らせてくれる。
 我々が何が出来るか? HIV&AIDSアクティビスト達は、現実的には目の前の事だけで精一杯である。 しかしながら、大きく世界的観点から自分の国を知るためにはとても重要なことである。そのために、この小冊子を目に通すことでかなうかもしれない。

投稿者 tokyobear : 17:01 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月06日

「性的少数者」ってどう思う?

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「性的少数者」という言葉は、たぶん「Sexual minority」の直訳と思われるが、あまり日本に馴染んでいる言葉とは言い難い。 確かにこの言葉は、ゲイ&レズビアン、トランスジェンダー、両性愛、性同一障害などの方々を、一つにまとめた言葉と理解する。

 「性的少数者、人権」で検索をすると、公的サイトは、とても少ない。そのなかで、トップに出てくるのは宮崎県、都城市だ。どこからか聴いたが、この市には大変アクティブなゲイの方がおられて、強く市政に働きかけたとのことである。「性的少数者についての基礎知識」が、行政の公式ホームページにあるのは、ここだけではあろうか。
 人権、性的少数者と、言われたり、書かれたりしても、「普通のゲイ」の方々は自分と無縁あるいは、別世界と思っているのが普通だろう。カミングアウトしなくても、「ノンケ」として、日々の日常を送り、週末、ハッテン場やゲイバーで「ゲイ」に戻れば、なんの不自由もない。大都市では、結婚しないストレート達も増加しているので、親や親戚縁者の結婚の要求に対しても、時流で乗り切れる。
 このあたりになると微妙ではあるが、大都市圏以外では、まだ「家制度」が堅持されているので、ゲイにとって(異性との)結婚は一大事となる。長男では特にそうだ。しかしながら、彼らは、自分の真のセクシャリティを乗り越えて、というか、それに目をつぶって、結婚してしまう。そして子どもまで作ってしまう。そこまでに至るには、かなり自分への妥協と挑戦が必要だと思うが、「個」(自分)よりも「社会」(家)の方が重要なことは、嫌ながらも、当人は自覚しているので、諦めるのも早いのかもしれない。 本当のゲイというセクシャリティと社会的、公的に自分自身が置かれている、「ノンケ」というステータスを、器用に別けて生活されている方がとても、多いと感じる。特に中高年は。
 ゲイバーに飲み出し始めるのが20前後、30過ぎまでゲイとして活発に活動して、よく、飲み屋やハッテン場へ行き、何人かのゲイと付き合う。そして、30代中盤、仕事が中間管理職になる。親戚や職場のすすめで、結婚。ゲイの世界から、一時的に消える。10年過ぎて40代半ば、嫌々ながらも結婚生活が上手くいき、子どもにも手を焼かなくなり、妻は、子どもに夢中で、亭主に興味が無くなり始める。そして、また、恐る恐るゲイの世界に復活し、50台を迎え、二足のわらじを上手に履くようになり、60を過ぎても、まだまだ行けるゲイバーはたくさんある。で70,80と・・・。 私の私感だが、このような例は、たくさんいらっしゃると思うのだが。
 私は、ゲイとして生きていく道を選んでいる。特に、結婚の勧めもなかったし、ゲイの世界にどっぷり浸かったのが20代後半だったから、気が付いたら、今の年齢というのが正直なところだが。
 話を元に戻すと、「性的少数者の人権」と言っても、実際に困ってるのは「性的少数者」の中の「少数者」である現実がある。もちろん、性同一障害で困っている方は、今度の法改正で、どんなに安堵したか理解は出来るし、一歩前進だと思う。同性婚については、法が変わって実現したら、ゲイのカップルは戸惑うのではないか。いまの、「曖昧」でしかない関係から、法律で縛られる関係となったら、はたして、どれだけのカップルが同性婚をするか、ごく少数であろうと想像する。
 性的少数者への人権は当然ながら、尊重されなければならない。同性婚も認めるべきである、婚姻するしないは、当人達の自由である。結婚する自由を奪うのは、やはり問題だと思う。
 くどくどと書いてはきたが、日本のゲイ達は、いままでのぬるま湯で良いと思っている。あえて、物事を荒立てたくない、いままでで、充分シアワセ、と思っている。
 私はあえて言いたい、法改正で「同性婚」を認めるなら、「同性同士の内縁」も認めよと。

投稿者 tokyobear : 11:49 | コメント (1) | トラックバック

2004年12月05日

アップグレード

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私はMOVABLETYPEを使って、このブログを立ち上げている。 12月1日にバージョンアップしたので、今日プログラムを入れ替えた。Version 3.121-jaである。

 エントリーの投稿欄で、太字イタリックアンダーバーが簡単にできるようになり、リンクや、メール関係も新しく追加された。どのような機能が追加されたかは、まだ把握していないので、今日マイMTの探検が楽しみだ。

投稿者 tokyobear : 11:43 | コメント (0) | トラックバック

マイコン遍歴

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私のパソコン使用歴は長い。初めて使ったパソコンがNECのPC8001、所有したのがSharpのMZ80だった。どちらも8ビット機。MZ80は漢字が扱えなかったし、モニタは当然モノクロ。しかし、価格は今のPCと同じくらいであった。周辺機器も総じて価格が高く、フロッピーディスク装置は当時は8インチか、やっとでてきた5インチ、1Dや2D規格のFD. それでも10万円ぐらいの値札が付いていた。25年くらい前になるだろうか。

 のちに大学生のとき、アルバイトで、草創期の「マイコンショップ」でアルバイトをしていた。今考えると無謀なことだが、全くのコンピューターの経験のない人に「BASIC」言語の初歩を教えていたりした。そのころ、NECの8801シリーズがリリースされ、カラー環境がはじまりだした。パソコンでは無いが、同時期にワープロも登場した。私は、全く暇な店の店員兼講師であったから、暇な時間、大学のレポートをデモ機で作成し提出したところ、担当教授に驚かれたこともある。彼女にとって、初めて受け取ったワープロレポートだったという。
 NEC-PC9801が発売されて、16ビットのPCの早さ、といってもCPUの早さは、たった8MHz。しかし、魅力的なグラフィックス、第一次水準しかないけれど、標準装備された漢字ロム、欲しくてたまらなかった。買えなかった。全てをそろえると、50万円以上した。
 時期同じくして、友人から、マッキントッシュを譲り受けた。「Plus」である。これには、大容量40M(!)のハードディスクまで付属していた。使ってみた感覚は、まさに「夢の機械」であった。NECのマシンは、80,88,98と基本は「N-Basic」で書かれたアプリケーションでしか動かなかった。MZは「Sharp-Basic」という、とてつもなくお粗末なBasicが付属していた。私はその酷さに、MZには、現在はゲームメーカーで有名なハドソンが作った「Hu-Basic」をインストールしていた。MZはROMにBasicを持っていなかったため、起動するたびにシステムをロードする必要があったけれど、逆に、開発されれば、どのような言語でも稼働した。「ディスク」ファイルの考え方がなかったので、それでだけで良い時代であった。 FDが一般的になってきて、MS-DOSがやっと、導入されたのである。FDをマウントするのにコマンドで「mount」取り出す時に「remove」を実行しないと、データが壊れることもあった。
 MacのGUIは私を魅了した。以来10年近くMacユーザーとなった。システム6.0.4の時代からシステム8まで経験した。購入した機材は4台となったが、Quadra840AVで打ち止めとなった。対抗するDOS/V機の価格差があまりにも大きくなりすぎたからだ。最初のDOS/Vマシンはメーカー製であったが、それ以降、自作している。性格上、寡占しているメーカーの肩入れをしたくない性格であるので、CPUは非インテル製品を使ってきた。AMD製品ががほとんどであった。それも、最近のAMDのCPUのメモリクオリティの要求に嫌気がさして、現在は、メインにP4、サブにセレロンという状態になっている。 OSマニアでもあり、バージョンアップは、ほとんどしてきた。Macもそう、6.0.4から6.0.7、System7から7.5そして8。 ウインドウズも95、98、NT、2000、XPと順調にMSに貢献し続けている。
 最近、久しぶりにアップル社製品を購入した。i-podであった。

投稿者 tokyobear : 10:57 | コメント (7) | トラックバック

2004年12月01日

World AIDS Day

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 今日は世界エイズデー。各国でHIV&AIDSの関連催しが行われている。日本でも、色々な団体がそれぞれの立場で啓蒙活動を行っている。

 今の、日本の「ごく普通のゲイ」は、HIV感染者と知り合うことは少ないと思う。実際は、感染者数が増えているが、医療が進歩して、薬を飲めば、かなりの場合、普通と変わらない生活をおくれる。感染している事実がわかったとしても、それを誰かに言うことは、ほとんど無いであろう。また積極的に言う理由もない。言えば差別に繋がることも危惧される。したがて、バーのカウンターで隣にポジティヴの人が座る機会が多いにもかかわらず、単純に判らないことが多いだけである。
 問題は、それらの事実を知らない「ごく普通のゲイ」達は、周りにポジティヴの方がいないと錯覚して、HIVを持っている人を「少ない」と感じることだ。各団体の献身的な努力で、日本でも、アナルセックス=コンドームの公式が成立しつつある。しかし、おさえの効かない若年層や、今まで通りのやり方に固執する中高年層は、まだコンドームを使わないセックスを当然としている人もいる。 これらの人々に、どうやってセーファーなセックスの知識を得て貰うかは、難しい。特に、中高年層は、群れ集うゲイコミュニティの中に属せず、会社組織や家庭内で大方の時間を過ごして、時として、バーやハッテン場に出てくるような人は、いくらゲイ向けの啓蒙イベントを行っても、全く無効になってしまう。10代、20代は、単身でゲイコミュニティと比較的つながりが深いので、啓蒙イベントにも参加しやすい。
 実際、私の年齢になると、私のようにゲイコミュニティにどっぷり浸かっている身においても、中々、参加できる啓蒙イベントを見つけることは難しい。 逆に、啓蒙活動をしている団体に属して、その活動するほうが、見つけやすいし、参加しやすい。と、いっても私は、どこの団体にも属していないが。
 こういう事に重い軽いは無いと思うけれど、隠れゲイで、会社の中間管理職で、中高年で、家庭で奥さんと、子どもさんが居るような人が、ある日突然AIDSを発症したら、彼の、精神的苦痛は計り知れない。
 全国各地の活動されている方には、本当に頭が下がる。奇抜な格好をして、新宿2丁目のゲイバーにコンドームを配っている方々を見るたびにそう感じる。内部で試行錯誤されているのが、手に取るように判る。先日のブログでも書いたが、日本のゲイコミュニティは、このような活動においても、活動をする方も、される方も、受動的であり、中心となっている方の力に頼らざるを得ない状況であろう。
 ゲイ=中高年=HIV&AIDS=啓蒙 という公式を誰か解いてほしい。

投稿者 tokyobear : 14:20 | コメント (0) | トラックバック