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那覇へ向かう機上でこれを書いている。
放浪癖というのは、齢を重ねても変わらないものだとつくづくおもう。
 おおげさに言うと、何処かへ行くことが生きている証しの部分のような気がする

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(学生時代に使っていた車。十勝三俣駅で80年頃 白いバスは当時、国鉄がレールを捨て民間バス会社に委託していた糠平・十勝三俣用のバス)

  学生時代、と言っても高校生からだが、日本全国を巡り歩いていた。さすがに徒歩や自転車はなかったけれど、国鉄にどれだけ払ったことか。大学に入り、一層激しくなった。大学の長期休暇は、かならず何処かへ出掛けていた。ほとんどが北海道であったが。当時は「カニ族」の終焉期で、「エビ族」への過渡期であった。「カニ族」は大学のサークルの山岳部やワンダーフォーゲル部から派生した旅行者で、カーキ色の横長のキスリングザックを背負って旅行していたため、後ろから見るとカニのように見えるのである。「エビ族」は山岳部がフレーム付きの縦長のザックが流行ったことがあった。背負うのを横から見ると、ザックとフレームが反って見えるのでこのような名前が付いた。
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(旧国鉄の北海道周遊券は学生は2割引、冬季はさらに2割引であった)
 当時の旅行期間も、今とは比べ物にならないほど長かった。国鉄が発売していた「北海道ワイド周遊券」は20日間有効であった。東京から北海道までの往復と、北海道内乗り放題であった。ただし特急が使えなかった。しかし当時は、まだまだ急行列車があり、それほど困らなかった。上野から青森は定期列車の夜行急行が3本あり、東北本線経由の「八甲田」常磐線経由の「十和田」奥羽線経由「津軽」であった。
 青森駅にこれらの列車が着くと、乗客たちは先を争うように青函連絡船の桟橋に走った。これは青函連絡船全盛期に「のり残し」が生じたため、旅行者は学習して先を争ったのだ。
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 私は船舶が大嫌いだが、北海道行の船は我慢して乗っていた。青函は3時間50分であった。 函館に着くまでにもう、16時間ほど要している。函館からも特急に乗車できないので、稚内行き急行「宗谷」、札幌行き「ニセコ」あるいは夜行の普通列車43列車滝川行きを愛用していた。この普通列車は当時最古参の車両を使っていて、ドアは自動ではなく走行中でも開けられるしろもので、照明は白熱灯が使われていた。

 札幌までほぼ24時間かかった。札幌からはまだ、石勝線が開通していないので、滝川回りとなっていた。釧路へは「狩勝」、網走には「大雪」、稚内へは天北線経由「天北」をよく利用した。私は紋別市に行くことが多かったのだが、札幌11時発のこの列車は連絡がよく、名寄で遠軽行きの列車に乗り継ぐことができ、紋別には午後5時前に着くというベストな列車であった。
 そうやって、居候のよなアルバイトのようなユースホステルのヘルパーをしていると、あっと言う間に20日が過ぎていた。ルール違反ではあるが旅行期間が短く帰る人の周遊券の交換も、広く行われていた。こうやって何カ月も旅行する人達がいたのである。
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  九州、北海道はこれらの周遊券の期間が20日だったのでよく利用した。 信州は7日、北陸は10日だったような気がする。 このくらいの日数では当時は物足りなかったのかもしれない。
 また私は、バイクや車でも良く行った。こうなると期限は無くなる。20時間という苦痛のフェリーを我慢すれば、新潟ー小樽間自動車1台と人一人で14500円ほど。バイクだと、運賃込みで1万円弱であった。
 車で出掛けた時は、。それがそのまま宿泊施設となった。車といっても550CCの軽自動車であった。その中に寝袋はもちろんのこと、自炊道具を含む生活用品一式を積んであった。車内で調理することも可能であった。こうなると旅行期間が飛躍的に伸びて、2、3か月自宅に戻らないこともあった。当時ガソリンが高く、根室ではリッターあたり150円もしたことを覚えている。
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(「夢」とまで言われた三国トンネル。トンネル内は舗装だが前後数十キロは未舗装だった)

 当時は、北海道開発局が精力的に開発していたとは言え、まだまだ道は未舗装が多かった。「国道」とはいえ、十勝三股から層雲峡にかけてや、南十勝、えりもと浜大津を結ぶ336号線は100キロ以上未舗装の上、降雪期は「冬季閉鎖」となった。
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(延々100キロ以上が未舗装だった国道336号線だが、集落付近だけ舗装されていた)

 大学時代だけで、その軽で14万キロほど走り、北は宗谷岬から南は鹿児島までほとんどの都道府県を走破したのである。
 当時からそれが日常であったので、特に記録をつけていないが、当時の日本のあらゆるところが思い出に残っている。

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louis-14 :

はじめてこのブログ読ませていただきました。
旅好きなんすね~。ロマンティックですな。
自分はあんまし旅行いってないですね、最近長野にスノボしにいったくらいでしょうか・・・
このブログにたどり着いたのはバディ読んでて初めてmixiの存在知ったのです。それでググってたらここに辿り着いて。いつかはmixiやりたいなぁと思いました。とりあえずexciteでブログはじめました。お暇でしたら見に来てくださいな。
いきなりこんなに長く書いてすみませんです。
http://louis14.exblog.jp/

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1962年東京生まれ
1994年結成以来、Bear_Club_of_Japan 代表・会長

◎日本のGLB&Tコミュニティの中でひっそりと生息している◎日本各地、世界各国を熊を求めて行脚しているらしい◎最近は沖縄とサンフランシスコに頻繁に出没◎パートナーあり◎体重6キロのシャム猫と同居◎

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このページは、Lonestarが2005年3月 9日 14:05に書いたブログ記事です。

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