またまたゲイ&ブログ
ブログというツールは、とても便利で、有益なツールだと思う。しかしながら、現在の日本のゲイブログは、「日記」の延長上として、執筆されている方が多い。それはそれで大いに結構なのだが、ホームページと何が違うの?と思ってしまう。
「トラックバック」というブログ独自のシステムを積極的に活用しているのは、私の思い当たるところでは「ぼせWeb」の[同性好きかもプロジェクト]しかしらない。 もともとブログはアメリカの若い世代で流行りだしたコミュニケーションツールだ。アメリカ人は「討論」することが好きな国民だ。政治、経済、宗教から家庭内のことまで、友人はもとより、教師、上司、牧師あるいは見知らぬ人とも意見を交わす。この習慣は私は、最初は戸惑った。自分の意見を堂々と言える自信が自分には無かったからだ。私は本格的にディベートをするだけの英語力は持たないが、アメリカ人の友人やその友人達が話している輪に入って、自分が感じていることを伝えたり、意見を聞くことができるようになり、また、それが楽しくなっている。
日本人、私はほとんどの友人がゲイであるが、彼らは、概ね自分の意見を言わない。もちろんそれぞれの人が、それぞれについて考えを持っていることは当然である。しかし、人との摩擦を無意識に避けるのか、滅多に議論を交わすことがない。議論=無駄とも考えているのだろうか。それとも、超個人的なのであろうか。
私のブログは、かなり挑発的に、大胆に書いているが、友人以外の反応はほとんど無い。トラックバックも当然ない。
私自身感じる事は、10年間で在籍した会員数約400名のゲイのサークル活動を行ってきたが、何をやっても、皆「受け身」であること。積極的に意見を言う人の数はほんの一握りだったこと。意見があって、本人が私に申し出る事は、本当に希であり、大概は、グチとしてバーか匿名のBBSで発散されるということである。それが回り回って自分の耳に届くということ。私たちの会はリブ団体から見れば「お遊びもの」と見下されているが、たぶん、リブ団体も会員構成は大体、私たちの会と似たようなものであろう。彼らは、目的と行動がはっきりしているから、我々よりももっと活動が大変なことは容易に思量される。
このごろ読まないが、アメリカには「アドボケイト」という全く、色気のないゲイ雑誌がある。サンフランシスコの地元のゲイ週刊新聞は2つのパートがあって、一つは堅い内容で、政治、経済、健康、犯罪などゲイの置かれている社会を扱っているに対して、もう一つは、エンターテイメント、セックス記事、パーソナルアドなどと分かれている。
残念ながら休刊になってしまった永易さんの「にじ」も、日本におけるゲイのクオリティペーパーのようなスタンスで、発刊当時、とても期待したが、ゲイ個人、いや、ゲイの団体でさえ反応が無かったのは、単に編集の出来、不出来の問題ではなく、それ以前に、そのような「堅い」ものへの違和感が強く出たものではないか。
ゲイブログも、似たような状態になりつつある。ミクシィでも同じだが、ルックスのイメージが先行していて、イメージ画像を多用する「(ゲイ)ネットアイドル」のページやサイトの視聴率が上がり、私のブログなど、内容はともかく、視聴率はNHK教育か放送大学のような扱いである。
最初は気にしていた「視聴率」だが、今は気にせず、ブログを自分のスタイルで書いている。また、気に止まった他の方のブログがあれば積極的にトラックバックするつもりでいる。
周りに私と同年代のゲイ、それも<プロ釜>がたくさん居るのに、何で声を出さない!
(トラックバック元)
ぼせweb:mixi&ブログ雑感と妄想いくつか
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Yesturday
こんにちは