こころの安定
私は心に何か引っかかることがあると、それを引きずってしまう。小さな事、他愛ないことでも同じだ。この世の中に生きているのだから、家族や職場や友人間あるいはパートナーとでもストレスを感じることは誰でもある。私はそれを昇華させることが苦手で、すぐに内面に抱えてしまう。
普通の人は酒でそれを発散させたり、一時的に忘れたりすること事ができる。残念ながら私は、酒が強すぎる。酔わないのだ。テンションが少し上に行くが、決して、酒を物事がわからなくなるまで飲むことは絶対にない。その前に自然にストップがかかるか、気分が悪くなる。ある意味で、酒に酔える人たちを羨ましく思う。
パートナーとは毎日、話をしている。遠距離なので、実際は会えないが、毎日話していることにより、それほど距離感はない。これは私にとってとても重要なことで、これがなかったら、本当に、心のよりどころが無くなってしまう。
ゲイの友達関係というのは、思いの外、ストレスになることがある。当事者でなくても、友人達の恋愛感情やその成就の方向、惚気、或いは浮気から別れまで。恋愛感情で無くても、友人間における、理由の有無を問わない憎悪や憎しみ。単に好き嫌いまで。まあ、ゲイバーはそのような話題で充ち満ちている訳で、それが当たり前の世界と頭では理解できるが、実際、そのような友人達を持つと、私は不要な友人の荷物を背負ってしまうことが多々ある。それを背負う事によって、自分にプラスになることは、多分無い。いままで、それに気づかず過ごしていた。お人好しだったかもしれない。また、自分がこれだけ情熱を傾けてやっているんだからと、その、代償を求めていたのかもしれない。世の中、自分の思うとおりに物事が進まないのは常である。それを人生勉強だと思っていた。実際、今思えば、良い体験だった思う。
40歳を過ぎても惑っている自分がいる。心が落ち着かない自分がいる。
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コメント(2)
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Yesturday
こころの安定、って現実の生活にあるのでしょうか?
ぼくは、こころの安定=停滞、のイメージが体験的にあります。
なにか現実の世にふれていると、つねに揺らいでいます。
揺らいでいる=生きている、ことへつながっているという感じがずっとしています。
心が落ち着かないことを、もっと受け入れてあげられれば落ち着かないことは悪いことではないのでは?
デパス!昔、同じ薬に頼ってました。今は楽しくお酒!いい仲間と飲んでます、良かったら是非!いかがですか?