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2005年01月27日
SNS(ミクシィ)有料化
思っていたとおり、大手SNSのミクシィの有料化のアナウンスが、今日午後7時頃あった。 予想通り、今までの無料サービスは継続するものの、「日記」の保存容量の上限が無料では100メガまでとなり、「メッセージ」の保存期間が60日となる。新設する有料会員制度は、「日記」は300Mの保存容量、「フォトアルバム」機能(300M)、メッセージの保存期間の制限無し、簡単な操作でタグが日記で使える機能、携帯電話でSNSを介してメッセージの交換、アンケート機能だそうだ。これで月315円。
私感だが、これで、昨年末から「爆発的」に増えたゲイのミクシィ利用者が頭打ちになり、ゆっくりと下降線を辿るのではないか。 現実的には、無料の会員で続けていくことは、メッセージの60日間の保存制限以外はあまり問題ではない。フォトアルバム、タグ、モバイル機能は無くてもさほど困らない。
ここに、2つの「クラス」が生まれることが、微妙に影響を与えると考える。いわば、たった月315円ではあるが、これを払う、払わない、払えない人が出てくるのである。いままで一つのクラスの中で垣根が無く繋がっていたSNSのコミュニティに背は低いものの垣根が出来た。ゲイは、この辺りを気にすると考えるのだが。
私自身、月315円を払えないことは無い、ただ、この会社に自分のクレジット番号を預けるにはやや躊躇いがある。大方のゲイの参加者が、各人の本名、住所など隠して参加しているので、なおさら有料会員に「アップグレード」するゲイは少ないであろう。
春以降、徐々にゲイの中ではミクシィはフェードアウトしていき、ある意味で、ストレート社会の中のSNSとしで正常な状態に戻ると予想する。
以下文章はミクシィからのコピペです。
mixiプレミアムとは
mixi プレミアムは、mixi をご利用いただいているユーザーの皆様が、もっと楽しく便利に mixi をご利用いただけるオプションサービスの総称です。
フォトアルバムや、日記を装飾するタグ機能、mixi モバイルのメッセージ機能、アンケート、日記の容量拡大、メッセージ保存といった、さらに mixi が身近に感じられるサービスをご提供いたします。サービスメニューは随時追加して行きます。
mixi プレミアムは月額315円(税込み)の有料サービスです。なお、2月末までは無料です。
投稿者 tokyobear : 19:25 | コメント (1) | トラックバック
MT3.122
私は、レンタルサーバー+ムーバヴルタイプというスタイルでこのブログを立ち上げているが、MTの脆弱性が発見されて25日にマイナーバージョンアップ版が出た。MTを提供する、シックスアパートメント日本法人では、1月中に新しい3.14をリリースすると言っているが、どうなるんでしょうか。本家では3.15。私は3.122にせず様子をみるつもり。 予想では日本語版3.14のリリースは遅れるのではないか。
Movable Type 日本語版サイト: Movable Type 3.122の提供を開始
投稿者 tokyobear : 16:15 | コメント (0) | トラックバック
HIV感染者1000人を超える
玉野さんからのトラックバックです。
ここで止めなければ、日本が危なくなる。というのがある意味共通認識であると思います。東京、名古屋、大阪などすでにHIV・AIDS啓蒙団体の方々が活動されている地域では、もう何年も前から危機感があったと思います。
現実的に、このままの状態でHIVへの感染者の数が増えるとどうなりますか?HIV医療、特に薬剤の価格を皆さん知っていますか? 健康保険で3割負担、障害者の扱いでかなりの額が公費で賄われていることをご存じでしょうか。 もちろん、公費で賄うことが当たり前だとおもいます。、カクテル療法で数種類の薬剤を投与さえたら、薬剤費だけで月に数十万円の薬剤費がかかることを、一般の人がどれだけ知っているのでしょうか。
このままHIVに感染する人が増えると、現在の健康保険制度は、すぐに崩壊します。そうすると、HIVだけでなく、医療にかかるすべての人に影響を及ぼすことになることを考えた事があるのでしょうか。自分が風邪をひいて消炎剤を処方されるのに、数百円プラスになるなりの何とか払える、しかしもっとシリアスな病気、ガンや脳血管障害で入院したとき、現行の3割から例えば5割負担になったら貴方は支払えますか? HIVもある意味で特別扱いにならず、5割負担となって、月10万円の薬剤費を一生払い続けられますか?
この国の政治・制度はあっという間に悪く変わります。こんな見方からも、絶対に、これからはHIVには感染してはならないのです。10代、40代以上の発病してからの発見が多いと聞きます。あらゆる年齢層に納得してもらえる教育をいま是非必要と感じる。
投稿者 tokyobear : 02:14 | コメント (2) | トラックバック
2005年01月26日
ブリザードINニューヨーク
先週末から、3泊でニューヨークへ行ってきた。アメリカには、年に数回訪れるがNYCは初めての訪問である。片道12時間を超えるフライトはやや辛かったが、閑散期である今、飛行機の中がやや余裕があり、充分睡眠が取れたため、今回の渡米は体調はすこぶる良かった。
金曜午後に定刻にケネディ空港へ到着し、5ドルもする空港、地下鉄駅間の連絡交通「エアトレイン」でジャマイカ駅そして、地下鉄を使い約1時間でホテルに到着した。ニューヨークは、特にホテル代が高い。1月末という超閑散期であるにも関わらず、1泊100ドル以下のところを探すのは至難の業であったが、ネット駆使して、チェーンホテルのサイトで87ドルのところを見つけた。税金も高く、1泊当たりの合計は100ドルを超えた。アメリカは旅行するのは、基本的に「2人」(夫婦)を単位と考えているので、1人でも2人でも部屋代は同じところが多い。独り旅だとチトつらいが、外で見つけた人を堂々と招き入れることも出来るわけで、それはそれで都合が良いのかもしれない。
レストランもやはり二人以上いないと、注文に困ることがある。だから、一人の時のはファストフードを使うのが多い。今回も、ホテルの並びのピザ屋で、日本のLLサイズのピザの8分の1位の大きさのピザ2切れを4.5ドルで買っておいた。
金曜日の予定はクリストファーストリートにある「ダッグアウト」というバーで、地元のメトロベアの集まりがあるので、それに参加することである。アメリカのバーは盛り上がるのは比較的遅い。今回も訪問する時間は9時と決めた。私のホテルのロケーションの決め方はゲイエリアに近いことが絶対に近い条件で、今回も地下鉄で2駅くらいしか離れていない。ニューヨークは古い町で、道がごちゃごちゃとしている。碁盤の目になっていないので、わかりにくいところがある。クリストファーストリートは、冬のためか、意外とひっそりしていた。レインボーフラッグが所々にはためき、レザーショップのウインドウには、フェティシュの小間物が並んでいた。
バー「ダグアウト」はクリストファーストリートの一番端、ハドソン川に近いところにあった。店内にはいると、今日のこのバーのホスト役である、メトロベア(MBNY)のミスターメトロベアとミスターメトロカブベアの二人が迎えてくれた。
サンフランシスコの「ロンスター」に入り浸っているため、バーの大きさ、参加している人の多さなど、かなり控えめではあったが、MBNYの方々と散々話し、1杯3ドルのビールを何杯ものみ、あっという間の3時間半であった。やはりベアコミュニティの人々はどこへ行っても優しい印象だ。
土曜日。朝からテレビを見ていると、午後から大雪が降るという。行動するのは午前からしかないと思い、マンハッタンの真ん中にあるメトロポリタン美術館に出かけた。11時前に入館したときは曇天ながら雪は落ちていなかった。私は時に美術に造詣が深くない、が、この美術館は特別だ。大英博物館にも行ったが、この美術館のスケールは凄い。ギリシャ彫刻の展示室を出ると、アフリカ美術、そこを出ると、モダンアート、気が付けば目の前にピカソが架かっている。歴史的な部屋をそっくり移設しているコーナーもあり、そこを出るとエジプトの巨大な石の建築物が現れたり。本当にワンダーランドであった。美術館を出ると雪は本格的に降り始め、道はすでに雪に覆われていた。次の行動は今晩の食事の確保であった。これは前から調べておいたチャイナタウンへ行って調達しようと思い、地下鉄でキャナル通りへ。雪はもう20センチぐらい積もっていたが、買い物客はごったがいしていた。中国料理店はたくさんあるものの、お目当てのお持ち帰り専門店が無く、雪の中1時間ほど彷徨したが、あきらめて、NYで一番大きな駅グランドセントラル駅へまた地下鉄で戻り、地下のフードコートで、中華とサンドイッチを買い、ホテルへ戻った。例のピザ屋兼コンビニでビールを2パイント程買い。これで、雪で都市機能がマヒしてもどうにかなる目処が付いた。テレビの天気予報は「スノーシャワー」ではなく「ブリザード」を連呼していた。
日曜日。雪は小降りになっていた。しかし除雪していない歩道は30センチほど積もっている。気温は土曜より寒く華氏10度以下(-12)程度まで下がっている。雪は、パウダースノー。その中で、昼食を取るべく、歩いてチャイナタウンへ歩いていった。お目当ては「麺」。半分くらいの店は休んでいたが、探しておいたレストランは開いていた。昼だったが、客は私独りで、「ワンタン麺」を注文した。細めの麺、薄目のスープ、ワンタンの中身はエビも入っていた。チップ込みで4ドルであった。
雪は止んできた。地下鉄はいつものように動いている、それでは次の目的地「アメリカ自然史博物館」へ向かった。セントラルパークにほど近いところにあるこの博物館は、アメリカ最大の規模を誇る博物館だ。休みはクリスマスと収穫祭の時しかないはず。しかし、休みであった。このまま、ほかの博物館へ行っても休みだろう、とあきらめ、地下鉄「1」線で、コロンブスサークル駅へ。この駅前に大きなショッピングモールが去年出来たと聞いていた。要はCNNの入っているビルの低層階がモールとなっていて、高級ブランドの店が並んでいる。コンコースは広く取ってあり、座り午後地の良いソファーが置いてあり、居心地がよい。また、地下が「スーパーマーケット」となっており、生鮮食料品やデリカテッセンも売っていたが、値段は高め。
このころになると空は晴れてきた。日曜日の午後金曜日に行った「ダグアウト」でビアパーティがあると聞いていたので、少し早いが向かった。早すぎた。客が3人しかいない。大雪のあとどれだけの人が来るかは未知ではあったが、少なすぎる。それでも、2時間近くねばったが、客は10人ほどになっただけで、金曜日に見かけた人も居ず、あきらめて次の店へ向かった。クリストファーストリートはTy’sという店がダグアウトと並んで有名だそうだが。こちらは雪で臨時休業であった。
全米には「イーグル」という名前のゲイバーがある。別にフランチャイズでも、支店、本店というわけでなくアメリカのレザーバーは「イーグル」という都市が多い。サンフランシスコ、ワシントン、シアトル、シカゴなど老舗が多い。
私はレザーに対してフェティシュを持っている。アメリカにベアコミュニティが無かった頃は、もっぱら各地のレザーバーへ通っていた。また、ベアコミュニティはレザーコミュニティに近いところにある場合が多く、レザーバーをホームバーとしているところが地方都市では多い。
さてNYの「イーグル」ではあるが、本来はクリストファーストリートにあったが、市政の方向性により、老舗が閉店していったそうだ。新生イーグルは28番街の外れにあった。周りには倉庫街のようになっていて、このロケーションの怪しさは、レザーバーの場合はプラスに作用する。
重いドアを開け、同じく重い革製のカーテンを開けた中は、意外と広く、客もちらほらといた。ここは3階建てになっていて、客が増えると上の階を開放していく。今日は1階だけの営業だが、1杯ビールが2ドルというサービスデーであり、7時を過ぎた辺りからリニアに客が増えだした。バーテンのルックスの良さもさすがである。
レザーバーで人から声をかけられることは滅多にないのは、この十何年の学習でわかっている。ベアコミュニティは比較的フレンドリーだが、レザーコミュニティは、あまり優しくない。また9割までが白人のコミュニティで、非白人を不得手とする人も多いことも十分承知している。
目の前で、ビリヤードをしている、その周りで、連れ立ってきた仲間達がビール片手に話している。カウンターでは、男臭い顔をしたバーテン達が酒を売る傍ら、常連客となにやら話している。そいて、店内のあちこちで、私を含めてぽつんと独立して、あてなくビールを飲んでいる。友人と待ち合わせか、いや、殆どがハッテン目的の男捜しであろう。しかしながら、過去の経験から見て、男捜しが成功する確率はとても低い。
私は楽しく、独りでビールを飲んでいた。殆どその店の人からは隔絶されていながら、寂しくない。もちろん景色がよいのも理由ではあるが、そこにいるだけで充分なのである。軽く酔っぱらっているアタマで、東京にこんな居心地が良いところがあったらな、と考えていた。結局2時間ほどでそこを辞して、ホテルへ向かった。
投稿者 tokyobear : 17:54 | コメント (0) | トラックバック
2005年01月20日
リムネット!なんとかせい!!
異常にリムネットのサーバーの処理速度が遅いのである。
リムネットに加入してから10年くらいの時間が経っている。当時は、まだパソコン通信からインターネットへの移行期で、プロバイダーの数はそれほどなく、選ぶことが出来なかった。
10年前は大手がIIJだったが、高品質だが個人では高価格。残りは、ベッコウアメとリムネットくらいしかなかった。そこで、リムネットに加入し、現在に至っている。通信回線は当然アナログ電話回線で1.2Kか2.8Kのモデム。 当然、通信料は市内通話と同様に3分10円かかった。のちに、夜間のみ話し放題の「テレホーダイ」が登場したときは、どんなにホッとしたことか。
私個人のアドレスとBCJのアドレスを変えたくないために、リムネットをずっと使い続けているが、サーバーの処理がとても遅い。本当におそい。メールの処理も他と比べると、体感的には10倍くらい遅い。利用料も、現在となっては決して安価ではなく、ホームページの容量が、今時10M! それを超えると5M単位で数十円かかる。
去年、とあるレンタルサーバーを借りたが、そのコストが1年1500円。たった、月に130円で、300Mの容量があり、メールアドレスも無制限に作れて、ウエブメールも可能である。私のこのブログは、そのサーバーの下に置いてあるし、少し重めのデーターも、リムネットから、こちらに移動してリンクを張って処理している。
まぁ、インターネットと接続するプロバイダーと単なるレンタルサーバーを比べてはいけないのかもしれないが、リムネットもう少し何とかせい!と声高に言いたいのである。
これは、番号を変えたくないのでそのまま使っているのだが、新しい音声端末を出さない、私が持っているドコモのPHSのケースにも似ている。
投稿者 tokyobear : 16:35 | コメント (0) | トラックバック
2005年01月19日
Lonestarの由来
ぼせさんのブログで、アイコンの追加方法が掲載されていたので、私のブログにも追加させて頂いた。
私のハンドルネーム「LONESTAR」はもう十年以上使用している。名前は、私が一番気に入っている、サンフランシスコのゲイ(ベア)バーの名前から頂いた。この店へはもう15年くらい通っている。
本来の意味は「一つ星」ではあるが、アメリカにおいては「テキサス」あるいは「テキサス州」の意味がある。
また、カントリー&ウエスタンの世界でも同名のグループが居る。私も彼らのCDを3枚ほど持っている。
グーグルで引くと、「Lonstar_Blog」 という他の方が書かれているブログがあるが、混同されていないかと、少し不安ではある。
トラックバック元
ぼせweb:favicon
投稿者 tokyobear : 17:03 | コメント (1) | トラックバック
ゲイコミュニティと団体
一口に「ゲイコミュニティ」といっても個人、団体、地域、職域、趣味、指向といろいろあるとおもう。その中で「団体」のカテゴリーについて、少し不満がある。
ゲイコミュニティの「団体」とは、何を指すのだろうか? まぁ、一般的に考えてNPO法人となった「団体」は公認の団体となることに異論はないであろう。 例えばNPO法人動くゲイとレズビアンの会(アカー)が老舗であろう。他に検索エンジンで検索すると数件出てくるが、実際幾つのNPO法人があるかはわからない。
また、これらの公認NPO法人はアカー以外はHIV・AIDS関連団体が殆どと思われる。 もちろん、現在のところ日本のゲイコミュニティで早急に対策をしなければならないし、とてもシリアスなのはHIV・AIDSであることには同意する。また、これらの団体も、国や地方自治体のバックアップや補助金の受領などでは、NPOとなれば受けやすくなるだろう。
では、他の団体はどうであろうか。我々のゲイコミュニティで暮らしていく上でのQOLの向上、政治的、経済的、あるいはセクシャルオリエンテーションの団体で「公認」されているものを聞いたことがない。
なにもNPO法人になったからといって、これらの団体は何かの恩恵が与えられる訳ではないと思う。逆にゲイNPOを名乗って不正なカネを動かすようになっては、一般的には逆効果である。
それぞれの団体には「目的」があると思う。前述のアカーは「エイズサービス事業体として、また、同性愛者の社会サービス事業体」(HPより引用)となる。
私が10年やっているゲイの団体の手本はアメリカにある。
アメリカでは、我々のような性的少数者のなかでも特殊な性的指向を元にした団体でも、監督官庁の許可を得ている。これを得ないで活動すると、営利活動と見なされ、活動費など動いたカネに税金が課せられる恐れがあるためだ。では、何を目的としているのかは、第一に「チャリティ」である。主にゲイコミュニティから寄付を集め、それをまた、主にゲイコミュニティに還元している。私が長年属しているサンフランシスコのベアクラブでは、この10年間で15万ドル(約1500万円)を、地元へ還元している。しかしながら実際活動を見ていても、執拗に寄付を要求するようなことが無く、バーでの集会で、抽選券を販売したり、クラブのロゴが入った物品を売ったり、オークションを行ったりしている。この辺りはとてもスマートに感じる。
前にも書いたが、アカーが主催するゲイコミュニティ向けの集まりで、我々の団体名を名乗ったところ、軽くあしらわれて、憤慨したことがあった。アカーが偉くて、我々のような団体は、泡沫以下と「公認」団体は考えているんだなと思わされた。それ以来「我々はお遊び団体です」と自嘲することさえあった。それ以来、他のGLBT団体との交流は、避けていた。
去年、名古屋のエンジェルライフナゴヤの集会に興味を持って出席した。彼らは、我々を「団体」と初めから認めてくれた。代表として、とても嬉しく感じた。 またそのときに05年の名古屋でのイベント「NLGR」への参加を招聘してくれたのである。
我々の会員は多くは首都圏に住んでいるので、中京圏のイベントに参加するのは多少、ネジレを感じるが、カネでない「ゲイコミュニティへの還元」として初参加するつもりでいる。
投稿者 tokyobear : 15:32 | コメント (2) | トラックバック
2005年01月18日
SNSその後
この頃、SNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)に変化が起きていると感じる。去年秋口から、ゲイコミュニティで火が付いた感があるSNSではあるが、やや沈静化してきた。
SNSの代表は「ミクシィ」である。誰かの紹介が無いと参加できないために、匿名性は残したものの、信頼性もある程度あるのでゲイのインターネットのコミュニケーションツールとしてもてはやされ、秋から暮れにかけは、ゲイバーでの話題も、この話に行き着くことが多かった。
全体の熱気が冷めてきているように感じる。勢いで、たくさんの人を招待した人は、その人たちが書いた「日記」を読むことだけでも大変であろうし、レスをつけていたら、それこそ、毎日何時間もかかってしまう。一人にレスをつけたら、全員のレスをつけなければならないような、脅迫観念的なものも生まれるかもしれない。 それに加えて、自分の日記を書き、その日記にレスをつけた人へまた、レスをつけるということとなる。
また、ネットの外での人間関係も、微妙に影響してくる。例えばストレートの友達や職場の同僚などがミクシィに参加してきて招待された場合、カムアウトしていない場合悩むこととなる。ゲイの世界でも、その人とはあまり関係を持ちたくない人、例えば、喧嘩別れをした友人とか、元恋人だとか、ウマがあわない奴とかが、ミクシィに参加してきた場合、その関係を持ちたくない相手が、友達の、友達だとすると、ややこしいこととなる場合が多い。自分の「日記」を「友人の友人」まで閲覧可とすると、この場合、自分の内面を見せたくない相手にさらけ出すことになる。「友人まで」閲覧可にも変更できるが、難しい場合も多い。この場合、日記を書くことを躊躇ったり、登録している人を調整しなければならなくなる。興味を持って注意深く見ていれば、第三者が、その人が誰を切ったかは、すぐわかる。 この行為は、たぶん、その人にとって、ミクシィ上ではあまり歓迎されない。
八方塞がりのようであるが、こうなってしまうと、もう、ミクシィにはいられなくなる。最初は、ミクシィに登録した人を整理しようと試みるが、複雑に「友人の友人」が絡んでいるために、一人を落とすと、みんな落とすか残すこととなる。それでは意味がないと考える。大方の場合、ここでミクシィから離れていくこととなる。全ての人を全て登録から落として、「リセット」して再構築を始めた輩もいるが、それはごく少数であり、絡まった糸をそのままに、ミクシィから去っていく。
ここ1週間くらい「ミクシィ・アイドル」的に何百人もの登録をし、精力的にレスを返していた方々がミクシィを去っていった。ゲイは新しいものに飛びつくが、飽きるのも早い。これからミクシィは、有料化の話を含めてどうなっていくのだろうか。
投稿者 tokyobear : 19:07 | コメント (4) | トラックバック
ジープロジェクト新年会
10年もお付き合いさせて頂いている、ジープロジェクトの新年会が、先週の日曜日に、四谷三丁目にほど近いところで開催された。10年前、Gメンが創刊されたときに、縁あって記事を書くことになり、以来、記事の執筆の依頼は無いが、何かとお世話になっている。
この会は、例年は「忘年会」として暮れに行われるのだが、今期は暮れに会場が取れないため、新年会として行われた。後で聞くと200名を越す参加者があったそうだ。
10年前のジーメン創刊記念パーティは、赤坂の小さな事務所で、ほんの身内プラスアルファで行われたのだが、本当に10年で大きく成長した。
出席者も、ジープロに直接関わる作家、ライター、モデルはもとより、印刷所、広告主、それに各種ゲイ団体の代表の方々、サブカルチャー関係、映画配給関係、ゲイバーのマスターなど、女性を含む多くの人が参加していた。
ここで、タックスノットの大塚さんに声をかけられ、このブログを見ている、といわれ、かなり驚いた。
10年経つと人が変わる。編集長も変わっている。ジープロの中で知り合いは一人きりになってしまった。赤坂時代を知っているのは、スタッフでも一握りになってしまったようである。
そのなかで、10年間細くお付き合いしてくれ、かつ気軽に声を変えて頂くのが、作家の田亀源五郎氏である。彼は創刊当初から、表紙と漫画を書き続け、ジーメンには無くてはならない存在である。彼の描く血なまぐさいSMチックなゲイエロティックアートとは無縁のような、優しい人柄の方である。
新年早々、私の主催しているサークルのホームページで、この10年間の「熊カルチャー」をアーカイブしようと思い立ち、ジープロジェクトの承諾と協力をもって、創刊号から最新号までの表紙を、全て集め一覧にした。全部で107号のうち創刊号から62号が田亀源五郎氏の描いた作品が表紙絵として使われている。
他に、読者からの購読費を踏み倒して倒産した、アメリカ、サンフランシスコのBrush Creek Mediaが発行していたBEAR Magazineの表紙も、手元のある分は全て掲載した。
10年をひと区切りとして、少し振り返り、また、前を見て行こうと思う。
ジーメン、ベアマガジンの表紙は次のURLからお入りください。
http://www.st.rim.or.jp/~lonestar/bcj/archives/index.htm
(写真)
新年会に参加した人への「お土産」。Not for saleのとおり、中身は、ボカシの処理がない田亀氏の作品である。
投稿者 tokyobear : 18:13 | コメント (1) | トラックバック
2005年01月11日
初めての恋
このようなタイトルをつけられてはいるが、片方をしっているだけに、少し羨ましい気がする。「初めての恋い」というと、若い頃の事を思い出すが、そればかりではない。40歳を過ぎて初めて同性の人を好きになったら、若かったころのそれと違ってもしょうがない。
巡り合わせや、自分のセクシュアリティへの受容などで、ゲイに世界に比較的年齢を重ねて「デビュー」する方も少なからずいる。意識的、無意識にかかわらず、本来の性的指向を隠して生きてきたかたが、ある日、何かのきっかけでそのタガが外れると、ゲイの世界があまりにも、ストレートの社会よりも居心地が良いために、それにのめり込んでいまう高年齢デビュー方が多いと聞く。
長年諦めていた「幸せ」を手に入れたら、それを誰かに話したいの当然だと思う。程度の問題があるし、「不幸せ」な方も居るバーでそれをやられると、グチの一つも言いたくはなるだろうが、まぁ、しばらくは暖かく見守るほか無い。
Ankhで乾杯!やっぱり泡盛さぁー
投稿者 tokyobear : 10:53 | コメント (1) | トラックバック
2005年01月08日
資格
私は中学生の頃一応プロの無線の免許を取った。プロといっても高級な資格から低級な資格まであるが、その低級に属する免許を立て続けて3っとった。
いずれの資格も「特殊無線技士」でその中でまた資格が分かれていて、漁船やタクシーなどの基地局で必要な「無線電話甲」、定期便など運送事業以外の航空機のパイロットや地上職員が必要な「無線電話丙」、それと、スピード取り締まり用から気象用まで何でもレーダーなら扱える「レーダー」の免許だ。
これらの資格は結局、いままで1度も使用する機会が無かった。その後取ったアマチュア無線の免許は開局して、現在に至っている。
運転免許は16歳の誕生日に原付を取得した後、何故か小型特殊を取り、そのあと中型自動二輪、18歳で普通免許を取得。20歳代半ばに大型免許を取って、その勢いで大型2種を目指したが、実技試験で挫けて2種免許は諦めた。
正月4日、7回目の免許更新を新宿更新センターへ行った。仕事始めということで、設備の割には申請者が溢れていた。1時間もすれば終わると思ったのだが2時間以上かかってしまった。「優良運転者」向けの「講習」もなおざり、おかざり的で、これならやらない方がマシと言われても仕方がない。以前のように鮫洲、府中の2つの試験場だけでの更新に比べたらはるかに楽にはなったが、まだまだ改善の余地がある。
投稿者 tokyobear : 10:31 | コメント (0) | トラックバック
2005年01月05日
慌ただしかった正月
今年の正月は相方が上京していて、ずっと一緒に過ごしたことで、Blogを全く書けなかった。普段の年なら業務多忙で、肉体的にきつくなるのだが、今年は、違った意味でキツイ年末年始であった。
年末年始、買い物には良く出かけた、繁華街のデパートや専門店へ。私は着るものに無頓着なものなので、滅多に衣料品店には行かない。相方も、気にする方ではないが、結構店巡りはするようだ。
GAP、エディバウアー、カンタベリー、ジャックウルフスキン、無印良品から丸井やらデパ地下までウロウロした。
自分では買うつもりが無いのに、相方が買うとついつい同じものが欲しくなったりしていて、この期間だけで、洋服類、バッグに至っては3つも増えてしまった。
私は電子小間物系を愛用し、物欲をそそる人間である、去年、一昨年とヨドバシカメラやビッグカメラで福袋を買って後悔した人間ではある。しかし今年は、アパレルの福袋を買って、少しだけ満足した。