2009年2月アーカイブ

 私は、パソコン歴がもう25年以上となる。 最初のコンピューターがMZ80という、シャープのPCだった。 CRTはモノクロ、CPUはZ80、クロックは2.5MHzである(今はGHzの時代で1000倍違う)。 OSという概念が薄く、BASICという言語でソフトを動かしていた。 添付されていたのはS-BASIC。 敵はNECのPC8801のN-BASIC。 当時はビジネスにはNEC、ホビーにはMZとという風潮があり、後にシャープはゲームに特化したPC、X68000を産むこととなる。

 当時、私は学生で、アルバイトで草創期の「パソコンショップ」に勤めていた。 日に数人訪れる客を相手にして、顧客に対して、BASICの講義の講師をやっていた。

 この時代に、リコーがワープロを出し、NECが16bitのPC9801を発売し、8インチFDを「大容量」と称した。 OSはMSーDOS3.1。 ここからDOS/V界のMS進出が始まる。 フロッピーを出し入れするのに、「mount」、「remove」コマンドが必要だった。

 学校を卒業して、バイトも辞して、手を出したのがマッキントッシュのPlus、以降PowerPCまでGUIに惹かれてMacだった。しかし、今と同じで、PCが非常に高かった。

 Windows98時代にDOS/Vに戻り、NTや2000、XPを経験してVistaが現状である。

 DOS/VはPCを自作することが容易なので、自然とPCの数が増えていく。 我が家では、MainのPCがCore 2 Duo とVista の取り合わせ、 ちょいと古くなったPCのM/BとCPU(Athron 64x2)を入れ替えて2NDでXP、 前のメインがPen4でOSは2000、激安Dellサーバー機のSC430には最近、Linuxを入れた。

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 Linuxは、無料で配布されているOSである。 ディストリビューションによっては、ブラウザ、メーラー、そしてOfficeソフトのOpen Officeが無料で付いてくる。

 ドライバが少ないので、周辺機器を動かすことは難しいかもしれないが、普通のインターネット閲覧、メール、文章作成、表計算など、一般の人がPCを使うことはすべてできる。

 ライセンスの問題でFirefoxとThunderbirdは名称が別だが、アドオンなど、すべて同じ物が使える。

 Open Officeも一般ユーザーなら問題がないレベルだと思う。

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DOS/V=MSという図式を、徐々に崩さないと、MSの一人勝ちになる。 DOS/Vを使うことはMSを使わないことだということを認識しないと、いつまで経っても、DOS/VのOSの競争原理が働かない。

 Windows7が来年春にリリースされるが、いつまでもMSの独断場ではいけないと思うのだが。


 


 私事ながら、実母が先月末亡くなった。 

 気がつくと、もう半年もこのブログを更新していなかった。 余裕が無かったのである。 
以前の記事にも母が倒れたことは書いた。 それから約1年、いろいろなことを思った。

 <倒れて救急車を呼んでも病院は選べない>

 母親は脳梗塞だったので、それなりの施設と技術がある病院でないと、救命率が落ちる。 しかし、産科ほどではないにせよ、ベットの空きが無い病院は受け入れてくれない。 あるいは、地理的に遠い病院まで搬送されることになる。

 <施設、技術が良い病院であっても、トータルでは患者本位になっていない病院もある>

 母親が搬送されたのは、私立医大の付属病院であった。 建てたれてからまもなく、ホテルのような病院であった。 ベットの差額は、当初1日あたり4700円徴収された。 紙おむつは、必要な分、自分で持ち込まなければならなかったし、病院の売店はバカ高かった。 行政でも紙おむつの支給があったが、手続きや要件などで断念せざるを得なかった。

 この病院は、「患者の安全確保」として患者の身体拘束を行っていた。 これが一番許せない。 

 入院して1ヶ月を過ぎると、転院先を早く決めるように催促を強く受けた。 今の病院は、急性期病院と、療養型病院を厳密に分けている。 急性期病院では3ヶ月を過ぎると、健康保険で受け取れる入院費が下がるので、何が何でも3ヶ月以内に追い出そうとする。

<療養型病院も金次第>

 いま療養型病院は、介護保険で入院する病院と、健康保険で入院する病院がある。 再来年までに見直しが行われるようだが、東京圏内ではまず、個人で探すことは困難と感じた。 母親は要介護5の判定をうけ、自己では何もできない身であった。 私は仕事があり、介護サービスを使っても、とても自宅で介護ができる状態ではなかった。 
 行政から数十の療養型病院のリストをもらい、すべての病院に電話した。 ほとんどの病院から断れるか、待機と言われた。 引き受けられると答えた病院は最低でも差額ベット料1日1万円必要なところだった。

 急性期病院のSW(ソーシャルワーカー)が探してきた病院は、地理的には近く、差額ベッド料もない、しかしリネン代、院内着として1日1700円徴収される契約だったが、もう、そこの病院に入院するしか選択肢は無かった。

 療養型病院は、出来高払いではない。 定額払いである。 たとえば要介護5の患者一人を1ヶ月入院させると、病院には、入院費として約47万円が入りその1割が自己負担である。 その上に1日あたり食費を1300円程度自己負担がかかる。 
 病院経営としては、できるだけ、患者に薬を与えたり、治療を行ったり、積極的にリハビリをしない方向に傾く。 案の定、急性期病院では口から摂食できていたのが、数ヶ月でチューブ食に変わってしまった。 身体拘束こそなかったが、積極的に起こして、QOLを向上させるという考えは全くなく、寝かせきりにさせられた。 ケアプランを渡されたが、週に何時間かあった「リハビリ」の時間はどのようなことをしていたのか、本人は意思疎通ができなかったので判らないが、私は怪しく思っている。

 あふれる笑顔、手厚い介護、回復に向けたリハビリを望むのなら、千万単位の貯蓄でもしていなければ無理と悟った。 当然、私にはその財力がない。 行政への裏技のようなことを行って、何とか入院費は払い続けられたが、蓄えは相当減った。

<葬儀社は全く不透明>

 1月下旬、危篤の電話をもらって、病院に飛んでいくと、何とか臨終には間に合った。 霊安室に移されてすぐ、病院で契約している葬儀社の人がやってきた。 以前から葬儀社の不透明なことは気になっていたので、事前に調べた、まともそうな葬儀社に連絡をした。 これがひどかった。 

 もう真夜中になろうとしているときに、寝台車でやってきたその葬儀社は、病院の前でバッテリーが上がり、JAFを呼ぶと言う。 こんな大事な時にひどい話である。

 狭い霊安室の中の遺体の前で、葬儀費用の概算を聞かされたが、故人の前でそのようなことをするのか、非常に疑問に思った。 私は、調べておいた料金を確認していったが、酷いのは、移送費であった。 確かに、10KMまでは費用に含まれると書いてあった。 しかし、病院からその会社の安置施設まではどう見ても30KMはある。 話では10KMを超えると、1KMごとに3000円と言い放った。 そして、その安置施設から葬儀所までも同じ計算だという。 その安置施設の場所を、パンフレット、HPで明示しないのはやはり不自然である。 結局、移送代は「値引き」とはなったが、釈然としない。

 また、遺体安置から葬儀まで5日の時間を必要としたが、本当に、葬儀場の予約が取れなかったのだろうか。 遺体安置料は日当たり1万程度必要だった。 私はこのあたりも怪しく思っている。

 葬儀当日の担当者も、突然姿を消して、葬儀所の職員の方を心配させたりと、酷い葬儀社であった。

<ゲイとして生き、そして死ぬとき>

 私は、兄弟姉妹がいない、親も亡くなった、親戚縁者もいない、孤立無援の人となった。 ゲイの友人たちはたくさんいる。 今回の件についてもどれだけ、私を励ましてくれたことか。 特にパートナーは、親戚同様な働きをしてくれた。

 万一、私が何か事故に遭っても、連絡するところが無いのである。 入院するには保証人が必要なところが多い、それは血縁者を望むところがほとんどだ。 そうなうと、私みたいな人は、入院できないのであろうか? 意識不明になった場合、誰が、どのような形で私を処遇するのであろうか。 

 私は、その判断をパートナーに預けたいと、強く思っている。 しかし、今の法制度の中においては、それは認められないことになっているのである。 意識不明になり、死に至ったとしても、私の財産は、どうにもならないのである。 遺言状を書けば良いのであろうか? 事前に公正証書を作れば良いのであろうか? この国では、同性のパートナーには何も権利を委譲できないのではないかと思っている。

 まだ数十年は生きたいと思うが、母親の闘病を見ると自分は、それから逃げたいと感じている。

 

 

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1962年東京生まれ
1994年結成以来、Bear_Club_of_Japan 代表・会長

◎日本のGLB&Tコミュニティの中でひっそりと生息している◎日本各地、世界各国を熊を求めて行脚しているらしい◎最近は沖縄とサンフランシスコに頻繁に出没◎パートナーあり◎体重6キロのシャム猫と同居◎

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