2006年9月アーカイブ
今年初めて、札幌で行われた「第10回レインボーマーチ」に参加してきた。
今回は視点を変えて、「ボランティア・スタッフ」という形で参加した。 仕事は、実行委員会のフロートの運転手なのだが、「大型免許」を要求されていたので、警察からの許可条件で「大型免許」を要求しているのかと勘ぐっていたが、実行委員に尋ねると、普通車でも運転できる4トントラックなのだが、車長が7メーターをを越えて、かつマニュアル車なので、普通自動車しか運転したことのない人にはやや荷が重い、とうことで、「大型免許」という話しになったみたいだ。
当然のことながら、マーチの出発から帰着まで運転席で一人で過ごした。 運転手はあくまでも陰の存在なので、全く注目されないのは当たり前なのだが、沿道の人たちを雑音無しに観察できる、とても良い機会だった。
注目されるのは、札幌中央署の警察官達である。 今年のTLGPでは散々問題になったが、札幌の警察官達は非常に対応が良かった。 他のフロートは知らないが、実行委員会フロートは、荷台に乗車する人数を「8人」と許可している。 また、交差点に立っている警察官とも、運転者である私とアイコンタクトと手まねで、コンタクトして、信号の調整を行ってくれた。 行政の上田市長が、この催し物の最後の「プライド集会」で挨拶をする土地柄、日本の首都の警察と比べたら雲泥の差だ。
フロートの運転手は本当に地味な仕事と感じた。 荷台では派手な衣装にかなり大きなサウンドでかなり立てている。 私は、彼らが転ばないように、細心の注意を払ってクルマをすすめ、フロートすれすれに歩く、参加者やスタッフに気を取られ、当然、他のクルマや歩行者にも注意しなければならない。
何事も無くて当たり前、もし何かあったら、真っ先に責任を問われるのが運転手の宿命である。 しかし私は、自分から率先してこのスタッフに応募したのである。 フロートを運転したかったのである。
しかし、この仕事、私には似合っているのかもしれない。 マーチで「孤独感」を味わえるのはこの仕事だけであろう。 私は、助手席にスタッフが同乗するものだと思っていたが、それも無かった。
マーチが帰着点に着いても、荷台のパフォーマー達から私への声は何も聞こえてこなかった。 実行委員からもしかり。 私はそれを取り立ててどうも思わない。 トラックと運転者は一体化していて、人格を持っていないと考える人が多いのであろう。 これでは、運転手集めは毎年大変であろう。
さて、運転席から街頭の人たちの中に北海道新聞の記者を見つけた。 翌日(9月18日)の北海道新聞には「性の多用さ理解を」の見出しで小さい記事ながら伝えていた。 テレビのクルーの姿は見つけられなかった。
北海道新聞のウエブ記事でも紹介されている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060918&j=0022&k=200609172455
10回目のレインボーマーチ。 11回目はどのようにするのであろうか。 革新的アイデア、企画で、飽きられないマーチにしていく必要がある。 上田市長が参加するような催しながら政治色無しでいいのだろうか。
Yesturday