Lonestar: 2006年3月アーカイブ
昨年10月から10回の手話教室が先週土曜日に終了した。
実際に手話ではなせる技倆はまだまだだけれども、ろう者の方々と向き合える姿勢は確実にできたと思う。
あとは、英語と同じく、場数をこなしていけば上達すると思う。
今回受講して、感じたことは、「手話は言語」ということを強く認識したことでである。
どうも聞こえる人は、手話は、言語の補助手段と考えがちであり。 我々聴者の日本人は日本語を使い、ろう者の日本人は、その日本語を手話に100%置き換えてコミュニケーションしていると、思っている人が多いのではないではあろうか。
確かに日本手話のベースは日本語である。 しかし、ろう者はこの50年くらいで違う言語「日本手話」を使うようになっていき、かつ、ろう者の文化は、聴者のそれと、少し違うものになっていったのである。
手話教室の最終講義でゲスト講師の方が仰っていたが、ろう者の方は聞こえない、しかし、聴者と同じ時を過ごしている。 それに関しては、同等である。 時に聴者は勘違いして、ろう者はかわいそうなもの、保護しなければならない人々と考えたり、酷いときには差別へつながっている。
英語を話す人、広東語を話す人、スワヒリ語を話す人、それぞれの地域で、それぞれの風習、習慣に則って生活している。 手話を使う人々も、その環境に応じて文化を創り、過ごしていることなのである。
このようなことが実体験で解ったことでも教室参加は大正解であった。
Yesturday